大楽毛駅にある、軍馬の日本釧路種の銅像でございます。








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words=’大楽毛駅前広場に馬の銅像がございましたので、有名な競走馬か何かかな?と思ってみてみますと、日本釧路種との銘板がございました。日本釧路種とは何ぞや?でございますので調べてみましたるところ、軍馬なのですな。戦闘用に生産され調教される軍用の馬でございます。明治時代からヨーロッパの技術を採り入れて開発された軍馬でございますか。国策により、ここ釧路で開発され飼育された日本人の体形に合わせた多目的軍馬でございますか。なるほどな~、でございます。蛇足ながら、柵が蹄鉄のデザインだったのでございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    明治時代に西欧の技術を取り入れて近代化をはかった大日本帝国では、当然ながら軍馬の飼育生産においても西欧の技術を取り入れ、そのための法整備が進められた。1869年(明治2年)、九段に招魂社と馬場が作られ、陸軍などが招魂社競馬を開催するようになった。1897年(明治30年)、農商務省が馬飼育業についてフランス法を翻訳し、フランドル地方の馬種改良規則などを研究した。1906年(明治39年)、勅令によって内閣馬政局が設置された。1922年(大正10年)、馬籍法の公布によって、飼育される全ての馬は「馬籍」に登録する義務が出来た。1924年(大正12年)軍馬の改良と増殖のため「競馬法」を制定する。1932年(昭和7年)釧路で日本人の体形に合わせた多目的軍馬 日本釧路種が開発された。1937年(昭和12年)釧路で奏上釧路種が開発された。1939年(昭和14年)4月に軍馬資源保護法が公布され、毎年の検査で軍用保護馬に指定された馬の所有者は、一定の管理や「鍛錬」への参加などを行ない、大日本帝国陸軍による徴発にそなえる義務を負うようになった。1945年11月21日、勅令第643号「昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク軍馬資源保護法廃止等ニ関スル件」によって軍馬資源保護法は廃止された。

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