卯原内駅は、北海道網走市字卯原内にあった、国鉄湧網線の駅(廃駅)。








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words=’1987年(昭和62年)に廃止された国鉄湧網線の卯原内駅跡でございます。能取湖のほとりで風光明媚な場所でございます。駅跡は卯原内交通公園として網走市が1988年(昭和63年)に整備し、隣地に網走市鉄道記念館が開設されました。9600形蒸気機関車49643号機とオハ47形客車オハ47508が共に静態保存されております。公園もそうなんですが、車両の方も経年劣化で傷みが進行しておりますですね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    卯原内駅(うばらないえき)は、かつて北海道(網走支庁)網走市字卯原内に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い、1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の南側(網走方面に向かって右手側)に存在した。かつては島式ホーム1面2線を有する、列車交換が可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も転轍機が中湧別方のみ維持され、行き止まりに切られた形で側線として残っていた。そのほか、本線中湧別方の旧交換設備ポイント手前より分岐し駅舎寄りを通る側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置し、構内踏切で側線を渡りホーム中央部分とを結ぶ通路で連絡した。木造板張り駅舎であった。また、1983年(昭和58年)時点では使われなくなった貨物ホームが残存し、附近の農協の駐車場として利用されていた。駅名の由来―当駅が所在した地名より。アイヌ語に由来するが諸説あり、河川が能取湖に流れ込むあたりの川口が不明瞭であるさまを示した「ウパラライ」(互いに・川口・死ぬ)、もしくは「オパラライ」(河口の死んでいる?)のほか、「オパラナイ」(川口・広い・川)に由来する説もある。旧駅構内は1988年(昭和63年)1月から網走市により「卯原内交通公園」として整備され、ホーム及びレール、またホームに横付けされ現役当時を再現する形で9600形蒸気機関車49643号機と、それに連結して国鉄の旧型客車であるオハ47形オハ47 508が静態保存・展示されている。オハ47は車内の一部が小上がりに改装されており、以前は夏期に車内での宿泊が可能だった。49643号機の近くには踏切警報機も設置されている。公園の案内板には歴史を記した「湧網線のあゆみ」と路線地図が記載されている。また、同公園に隣接した敷地内に、バスターミナルを兼ねた瀟洒な建物である「網走市鉄道記念館」が開設され、2階に閉塞器、通標、保線用具、備品、乗車券、写真パネルなどの湧網線関連資料が保存・展示されている。中には喫茶店「エルコンドル」が入居する。以上は2010年(平成22年)時点、2011年(平成23年)時点でも同様の状況であった。当駅跡附近の線路跡は、北海道道1087号網走常呂自転車道線として自転車歩行者専用道路に再利用されていた。

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