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words=’湧網線の計呂地駅跡でございます。1987年(昭和62年)に湧網線の廃止により廃駅となりました。跡地は湧別町により計呂地交通公園として整備されたのでございます。ホーム部分はそのまま残され、新たに跨線橋が新設されております。最初に遠目で見た時は廃線当時からあるのかと思いましたが、よく見ると線路からの高さが低過ぎますわな、列車にぶつかる高さしかありませんものw 公園としての通路機能として作られたものなんでしょうな~。トロッコが下を潜って走行するみたいですな。C58形蒸気機関車C58139号機とスハ45形スハ456、オハ62形客車オハ6291の2両が静態保存されております。スハ45は宿泊できるように改造されているんですな。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    計呂地駅(けろちえき)は、かつて北海道(網走支庁)紋別郡湧別町字計呂地に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い、1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。廃止時点で、1面2線の島式ホームを有する地上駅で、列車交換が可能な交換駅であった。駅舎側(東側)が下り線、外側(西側)が上り線となっていた(番線表示なし)。そのほか、上り線の外側に側線(副本線)を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の南東側に位置しホーム南側とを結ぶ構内踏切で連絡した。ホームは砂利敷きであった。当駅では、手作りの帆立貝殻付きの入場券が発売されていた。地名は、アイヌ語の「ケイ・ラツ」(サケの皮で作った靴を忘れた所)、「ケレオチ」(非常に削られた所)など、由来には諸説ある。旧駅構内は1989年(平成元年)5月から、湧別町により「湧別町計呂地交通公園」として整備された。駅舎、レール、ホームが保存され、ホームに横付けする形でC58形蒸気機関車C58 139号機と、それに連結して国鉄の旧型客車であるスハ45形スハ45 6、オハ62形客車オハ62 91が静態保存・展示されている。車輌は1999年(平成11年)時点では野ざらしだったが、2010年(平成22年)時点では車輌が保存されている部分には屋根が設けられており、保存状態は良い。スハ45は車内がカーペットが敷きに改装され、宿泊施設となっている。駅舎は現役当時のままで、鉄道資料室及び公園管理棟となっている。舎内に駅名標、行先標、閉塞器、通標、備品、乗車券、時刻表などの湧網線関連資料が保存・展示されている。駅横には湧網線開通の経緯が記載された「鉄道記念碑」が建立されている。なお、敷地内には現役当時は存在しなかった跨線橋が設置されている。以上は2010年(平成22年)時点、2011年(平成23年)時点でも同様の状況であった。また、2011年(平成23年)時点では当駅跡から浜床丹仮乗降場方の、計呂地川までの線路跡には土留め用にレールや枕木が再利用されていた築堤が残存していた。

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