新守山駅は、名古屋市守山区新守町にある、JR東海中央本線の駅。

中央本線の新守山駅でございます。盛土上の複線区間にある、列車退避可能な島式2面4線の地上駅でございます。盛土上にホームがあり駅舎は地上部にある高架駅と等しい構造でございます。元々は貨物業務が中心だった駅で、規模が縮小され、貨物駅部分のほとんどが撤去されたものの現在もなお貨物駅としての面影が残っております。中央本線の名古屋市内にある駅の中で唯一、普通列車のみ停車する駅となっております。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    新守山駅(しんもりやまえき)は、愛知県名古屋市守山区新守町にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)中央本線の駅である。2022年(令和4年)現在、名古屋市内を走る中央本線の駅の中で唯一快速以上の優等列車が停車しない駅である。現在の中央本線にあたる路線のうち、名古屋 – 多治見間の開業は、1900年(明治33年)に遡るが、大曽根駅からの距離が短いことなどもあり、守山には長い間、駅が設置されていなかった。1958年(昭和33年)1月、名古屋市は、千種駅と大曽根駅の貨物事業を統合し移転する都市計画案を策定し、貨物新駅として、現在の当駅の場所を候補地とした。同年3月、地元守山市は中央線守山駅誘致委員会を設置し、翌1959年(昭和34年)1月には、地元住民による守山駅設置地元対策協議会が発足し、守山市議会には中央線守山駅対策委員会が組織された。しかし、農地が削られる、貨物駅のみの新駅では必要がないなどのと議論が出て、調整は難航した。その後、協議が続けられ、旅客扱いも含めた一般駅として開業することになり、各機関と個別に協定が締結され、新駅設置が決定した。1960年(昭和35年)4月から、土地の買収が開始され、その後、新駅設置工事が始まった。このような経緯を経て、新守山駅は、1964年(昭和39年)4月1日に開業した。開業当時、同じ名古屋市守山区(1963年、守山市が名古屋市に合併)内に、名鉄瀬戸線の守山市駅(現在の守山自衛隊前駅)があり、当時の日本国有鉄道(国鉄)には、当時の滋賀県野洲郡守山町(のちの滋賀県守山市)に守山駅が存在したことから、重複を避けるため守山の前に新が冠された。島式ホーム2面4線を有する盛土駅。名古屋駅を出てから最初の旅客列車が待避できる駅である。通常は駅舎に近い方が1番線であるが、当駅は駅舎の反対側の旧コンテナ基地に近い方のホームが1番線になっている。2・4番線が主本線、1・3番線が副本線(待避線)である。一部の普通列車は[7]当駅で後続の特急「しなの」を待避する。列車ダイヤ混乱時には、当駅を通過する快速を運転停車させ、優等列車を先に行かせる場合もある。また通過列車は当駅を高速で通過する。普通列車が当駅で快速を待避することは原則としてない。ホームはかなり狭く、名古屋側の先端には屋根(上屋)がない。この他にも、2つのホームの間に側線が2本あった。構内にも使用されていない側線が複数ある。貨物列車の発着があったころには、旅客ホームの西に仕分線、その南に3面4線のコンテナホームがあった。駅舎は駅構内東側にあり、2つのホームとはホーム下にある通路で繋がっている。東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅である。 千種駅が当駅を管理している。駅舎内部にはJR全線きっぷうりばや自動改札機、自動券売機などがある。エレベーターも設置されている。JRの特定都区市内制度における「名古屋市内」の駅であり、中央本線では当駅が名古屋市内の東限である。駅舎の出口は北東側にしかない。JRF新守山ショッピングセンターは駅西南にあるが、一度北側のガード下をくぐって大回りしていく必要がある。

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