京阪8000系は、平成元年に登場した京阪電気鉄道の特急形車両で6代目特急専用車。

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たぶん一番好きな電車。特別な料金を必要としない、「フツーの電車」として京都~大阪間を走っている。←なにをいまさらwww

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    京阪8000系電車(けいはん8000けいでんしゃ)は、1989年(平成元年)に登場した京阪電気鉄道の特急形車両で6代目特急専用車。愛称はエレガント・サルーン(ELEGANT SALOON)。当初は鴨東線の開業時の特急用車両の増備分として投入されたが、その後も追加で投入されて初代3000系を置き換えていった。1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけては2階建車両(ダブルデッカー)が製造、さらに2016年(平成28年)から2017年(平成29年)にかけて編成内の中間車1両が座席指定車(プレミアムカー)に改造され、各編成に組み込まれている。かつては、車内にテレビを設置した車両(テレビカー)も連結されていたが、後述の2011年の車内リニューアルの際にテレビは撤去された。2008年には、8両のみ残っていた初代3000系が8000系に編入されて30番台となったが、本項では、製造当初より8000系として落成した0番台について記述し、出町柳方先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。京阪の特急専用車両としては6代目である。当初、本系列は、1989年(平成元年)の鴨東線開業に伴う特急用車両の所要本数の増加分と、3000系に存在していた6両編成を7両編成に統一するために必要となった中間車のみを投入する計画で、まず7両編成1本と中間車5両が製造された。3000系に組み込む中間車の車両番号が、製造順ではなく8552・8554・8564・8566・8568とされたのは、組み込み先の3000系の車両番号に合わせていたためである。運用が開始されると、特急停車駅で8000系に乗車するために待つ乗客が非常に多くなったほか、3000系に組み込まれた8000系中間車に乗客が集中した。また、鴨東線開業に伴う特急の利用客増加は予想以上であり、特急を7両編成に統一したにもかかわらず混雑する場面が多く、1989年12月には第1編成の補助いすに手すりが増設され、さらに編成中間に先頭車を含まない完全な固定編成とすることで収容力を向上させるため、特急を8000系に統一することとなった。その後、この計画は変更されて3000系は1編成のみ残され、1995年(平成7年)にはリニューアル工事とともに2階建車両(ダブルデッカー)が改造で組み込まれた。新造が進んで順次3000系を置き換えていき、1993年(平成5年)には本系列は7両編成10本(70両)となった。3000系に組み込まれていた8000系中間車は、新造された8000系に組み込まれている。そして、先に3000系で試験的に組み込まれていた2階建車両(8800形ダブルデッカー)を本系列にも増結することになり、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて、1年で5両ずつ、計10両が新製され、後述のテレビカーの次位、出町柳方から4両目(淀屋橋方から5両目)に順次組み込まれ、8両編成10本(80両)となっている。本系列は、初代3000系のイメージを残しつつ、より近代的にアレンジされている。例えば、大きな客室窓(熱線吸収ガラス)の日除けには無機質なロール式カーテンではなく横引きカーテンが取り付けられている。また、運転席の遮光幕は運転席の後部のみ、運転席スイッチで自動で昇降する。ただし、客室から運転室へのドア部の遮光幕は運転士が手で閉める。遮光幕の色は、登場時は客室寄りが黒、運転室寄りが緑であったが、灰色に交換・統一されている。車両間の貫通扉はセンサー式の自動ドアで、のちに登場した新3000系同様に取っ手を握ると開く仕組みになっている。実際には、取っ手を握る位置に手を置くと、貫通扉柱に埋め込まれた装置から照射される光が遮られるため、機械が反応して扉が開く。

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