北千里駅は、大阪府吹田市古江台にある、阪急電鉄千里線の駅。










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words=’千里ニュータウンの北の玄関口、北千里駅でございます。幼少のみぎりから乗り鉄だったワタクシは当時の千里線も乗ったんですが、それはここまで延伸される以前のことでしたね。この駅が出来てから天六からここまでの全線乗ったのって初めてかもしれません。1967年(昭和42年)に南千里から延伸されましたが、その時までは南千里駅は新千里と名乗っていたのを思い出しましたね。 ‘
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words=’ これから当分の間、リアルタイムではございませんで、過去に訪れた際の写真を基にした記事が続きます。新型コロナ、緊急事態宣言が出されたことに伴い、不要不急の外出を避けるよう要請されている地域が増えましたのでワタクシも一人旅に関しては一時自粛させて頂きます。ライフワークでありますので忸怩たる思いがございますが昨今の状況を踏まえれば仕方ないことでございます。過去に撮り溜めていた画像がまだ多く手元にあるので、暫くはそれを使用して記事の更新は続けて参るつもりなんですが、記事の更新でワタクシの生存確認している人がいたりするらしいのでねw ‘
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    北千里駅(きたせんりえき)は、大阪府吹田市古江台にある、阪急電鉄千里線の駅。同線の終着駅で、千里ニュータウンの北の玄関口でもある。1967年(昭和42年)の開業と同時に、日本では初めてとなる自動改札機(オムロン、旧・立石電機製)が設置された。当初は定期券用と普通乗車券用とで改札の方式が異なり、定期券はパンチカード方式、普通乗車券は磁気券(バーコード)方式を採用していた。その後定期券も磁気券方式を採用し、1972年(昭和47年)には定期券・普通乗車券共用の自動改札機に更新されている。2007年(平成19年)11月27日には、鉄道向け自動改札システムの開発・実用化に関して、電気・電子・情報・通信分野における世界最大の学会であるIEEE(アメリカ電気電子学会)より『IEEEマイルストーン』に認定され、阪急は同システムを共同で研究・開発してきた、大阪大学・オムロン・近畿日本鉄道とともにこれを受賞した。当駅の改札口付近には、その受賞を記念した銘板が設置されている。相対式2面2線のホームを有する高架駅。盛土の軌道の延長上に線路とホームがあるため、改札口やコンコースはホームよりも下層にあり、周辺には各種商店が入居している。駅の両端に、シーサスクロッシングが設置されているという、珍しい構造である。終着駅にもかかわらずホームが頭端式でないのは、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)への対応として行った増便により、留置線を追加したという経緯の名残である。それ以前は一般的な頭端式で、2つのホームは車止めの先でも相互に行き来できた。この留置線は、千里ニュータウンのさらに北(箕面市東部)にあり阪急グループが開発した粟生団地や間谷住宅方面への延伸を見据えたものでもあった。 箕面市今宮方面へは線路用地としての土地も確保されていた。阪急は千里山線(当時)の千里山駅と箕面線の桜井駅を結ぶ「千里山延長線」の事業免許を取得していたが、1972年(昭和47年)12月に免許を返上・廃止となり、空地も多くの箇所で転用されている。

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