赤羽駅東口広場で物思う朝。

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赤羽駅東口広場で西新井行のバスを待っております。ここに佇んでおりますと拙者の身の上の様々な出来事が頭の中に浮かんでは消えていきます。昭和も終盤に差し掛かる頃、人生の転機が訪れた場所でございます。結果的にどちらかと言えば暗転の方でございますが。

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  1. by DoraNeko

    Wikipediaから引用
    赤羽(あかばね)は、東京都北区の町名。現行行政地名は赤羽一丁目から赤羽三丁目。東京都北区北部北端部に位置する。北で荒川を挟んで対岸に埼玉県川口市荒川町(河川上の一点で接する)・同舟戸町、東で岩淵町および志茂、南で赤羽南、西で赤羽西・赤羽台および赤羽北と隣接する。周辺にはJR赤羽駅・東京メトロ赤羽岩淵駅があり、鉄道交通の便が比較的発達している。東京都北区の交通・商業の中心地である。また、さいたま市民、川口市民、戸田市民など合わせて約200万人の人口を抱える都市が近接しており、東京都への通勤において大多数が赤羽を通過するため、埼玉県からの来訪者・購買層が高い比率を占めていることが特徴となっている。赤羽は京浜東北線ならびに埼京線を沿線とする埼玉県とほぼ同一の経済圏を形成し、埼玉県と非常に密接な経済的かつ生活上の関係がある。秩父山地源流の伏流水にも恵まれている。また、ララガーデン(スズラン通り)という長いアーケードが隣町の志茂まで続き、日々賑わっている。かつては東京の「北の玄関口」とされた。歓楽街もあり猥雑な雰囲気があったが現在は駅西口再開発も完成し、かつての面影はほぼ残っていない。駅東口の赤羽南に作られた赤羽会館は古くからの公会堂で王子本町の北区役所、王子の北とぴあ、西ケ原の滝野川会館と並び区民の文化拠点である。歴史的にみると、現在の赤羽北部の岩淵は岩淵宿という宿場町として歴史的に発展していた一方、赤羽は宿場町ではなく単なる集落に過ぎなかった。しかし、鉄道が岩淵ではなく赤羽に敷設されたことにより、赤羽駅は交通の要所となり次第に発展していった。かつては赤羽根村(のちに赤羽村)であり、1871年(明治4年)11月14日に浦和県(現埼玉県)から東京府北豊島郡に編入された。1889年に岩淵町の一部となり、1932年に東京市王子区(現・東京都北区)に組み込まれた。定説では、土器制作に適したきめの細かい上等の赤土(赤埴・あかはに)が多い土壌から、この名がついたとされる。また、荒川南部に接する崖線を、峡(はけ)といい、赤土の露出した崖を「赤バッケ」とも呼ばれていたため、この名前と関連するとの説もある。1950年代まで北区、板橋区での崖線の呼び名として一般的であったが擁壁整備により観察は難しい、港区の赤羽橋にも同様の説がある。

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