もはや形式消滅の危機状態、古参103系電車の和田岬行普通列車。






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words=’現在は網干総合車両所明石支所所属の103系電車6両編成を使用している和田岬線の列車なんですが、電化されたのは2001年7月1日でございまして、それまではホームとは反対側のドアを一部撤去したキハ35形・キクハ35形の各300番台での運行だったのでございます。更にその前は2両のDE10形ディーゼル機関車が編成前後に連結されるプッシュプル運転で旧型客車をけん引していたのでございまして。オイラはそれをナマで見たことがございますですわ。とりま、103系電車も残すところ僅かになりましたですな。和田岬線自体も廃止云々が取り沙汰されているのでね、どうなりますやら、ですなあ。それはさておき103系電車っていえばオイラが東京在住の頃は国電と言えばコレのことって存在でしたですからね~。中央線快速のみ101系が使われていた時代の話ですわ。とにかく懐かしいですな~。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    国鉄103系電車(こくてつ103けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流通勤形電車である。1963年(昭和38年)3月から1984年(昭和59年)1月までの21年間に3,447両が製造された。国鉄初の新性能通勤電車として1957年に登場した101系を基本に、駅間距離の短い線区の運転やMT比1:1の編成を組成可能な経済性を重視し、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情を考慮の上で設計され、3,447両が製造された。新造車3,447両のほか、20両が72系から、36両が101系から編入され、総数は3,503両であるが、105系への改造や老朽化、事故廃車などにより、全車が同時に存在した時期はない。基本的な構成は、前級に当たる101系を概ね踏襲している。切妻形車体・3枚窓による運転台のシンプルなデザイン・幅1,300 mmの両開き4扉・扉間7人掛け車端部3人掛けのロングシート・コイルばね台車はウイングばね軸箱支持・主電動機に直巻整流子電動機を用いた抵抗制御・MM’ユニット方式である。本系列の設計は帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)東西線乗入用のアルミニウム合金製車両である301系の基本となったほか、地方電化路線用の105系にも応用された。JRグループ発足時に、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、北海道旅客鉄道(JR北海道)と四国旅客鉄道(JR四国)を除く各旅客鉄道会社に引き継がれた。その後老朽化による新型車両への置き換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道(JR東海)が所有していた該当車両は2001年(平成13年)、東日本旅客鉄道(JR東日本)が所有していた該当車両は2009年(平成21年)に形式消滅となっており、2019年4月1日現在残存するのは西日本旅客鉄道(JR西日本)が関西圏で運用する48両と九州旅客鉄道(JR九州)が筑肥線で運用する15両の計63両である。

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