瞰望岩の麓、遠軽公園で保存されている蒸気機関車D51の484号機動輪ほか。






[talk
words=’遠軽の象徴、インカルシこと瞰望岩の真下にある遠軽公園にある蒸気機関車D51の859号機の脇に、さらに蒸気機関車D51の484号機の動輪も置かれておりました。付近に何やら牛が描かれたレリーフの付いたモニュメントもございましたですな。’
align=r avatarshape=3 bdcolor=#1e73be bgcolor=#fff avatarsize=50 avatarimg=”https://doranekoweb.com/web-memorandum/wp-content/uploads/doraneko.png”]

DoraNeko

にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内、紋別郡にある町。オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内と接している。人口は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在)、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在)。面積の広さは「市町村」としては全国9位・道内5位(北方領土内の留別村を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町(いずれも道内)に次ぐ全国3位である。町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。1919年(大正8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がそれぞれ遠軽村(→町)から分村されたが、2005年(平成17年)に4町村が新設合併して(新)遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の指定自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域に指定されている。現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語の「インカルシ(inkar-us-i)」(眺める・いつもする・所)に由来する。かつてはここで見張りをしたという。湧別村時代の1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、学田農場付近に設置した新局に「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した。

コメントする

目次