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東海道本線の蒲郡駅でございます。複線高架区間にある島式2面4線の高架駅となっております。ホームは2階にあり、改札とコンコースが1階にございます。名鉄蒲郡線の蒲郡駅が同じ高架の南側に並んでおりますが、改札は別々になっております。南北両側にロータリー広場が整備されております。蒲郡市役所、愛知県立蒲郡高等学校などの最寄り駅となっております。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    蒲郡駅(がまごおりえき)は、愛知県蒲郡市元町および港町にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線および名古屋鉄道(名鉄)蒲郡線の駅である。蒲郡市の中心駅で、「観光交流立市宣言」をした観光の街「蒲郡」の玄関口である。JR東海・名鉄ともに駅員が配置されている。かつてはJR東海と名鉄の共同使用駅であったが、蒲郡駅付近連続立体交差事業(鉄道高架化)の完了により、駅舎・改札が分離された。JR東海の東海道本線と、名鉄の蒲郡線が乗り入れ、接続駅となっている。蒲郡線は当駅が終点となっている。1888年(明治21年)に官設鉄道(現在の東海道本線)浜松駅 – 大府駅間の開通と同時に開業し、のちの1936年(昭和11年)に三河鉄道(現在の名鉄蒲郡線)が乗り入れた。なお駅設置当時、駅が所在していた当時の蒲郡村は「かまごおり」と読んでいたが駅は「がまごおり」で開業しており、これが現在の蒲郡市をはじめとする「がまごおり」読みのルーツとされている。蒲郡駅周辺の鉄道高架化事業(正式名称:蒲郡駅付近連続立体交差事業)は、踏切による交通渋滞や事故、鉄道による市街地分断を解消し、魅力的で質の高い街づくりを目的とするもので、高架化および南口再開発が2008年(平成20年)3月に完了した。南北連絡通路(コンコース)の完成で南北地下道は廃止されたが、北口周辺の地下街は現在も営業中である。今後は北口広場において誘客効果が見込める有名店を含む商業施設を設置する予定である。かつては南口から竹本油脂本社工場と日本通運蒲郡支店への貨物専用線が伸びていた。現在は南口土地区画整理事業が完了し、当時の面影はほとんど残っていないが、蒲郡市民会館臨時駐車場に当時の枕木やレールが保管されている。高架駅。南北連絡通路を挟んで、JR東海・名鉄の改札口がそれぞれ設置されている。コンコースは広めに確保されている。JR東海=島式ホーム2面4線を使用している。内側の2・3番線が本線、外側の1・4番線が待避線(副本線)で、朝・夕方には普通・快速の緩急接続が行われている。ホームは2005年(平成17年)に高架化された。高架化以前は北口側に駅舎があり、駅舎とJR東海・名鉄のホームを結ぶ跨線橋があった。この跨線橋は「鉄道院明治43年」の文字が刻まれた歴史あるもので、1953年(昭和28年)の東海道本線電化で約1mかさ上げされ、高架化工事による仮設跨線橋の供用開始まで使用された。貨物営業を行っていた頃は、駅舎東側に1面1線の有蓋車用貨物ホームがあり、駅南側には竹本油脂本社工場専用線「竹本1番線(有効長52m)」「竹本2番線(有効長31m)」と国道23号線を横切り三河港木材埠頭へ伸びる日本通運蒲郡支店「日通専用線(約500m)」(当初は日本通運と三和倉庫などで出資の臨港線)の貨物専用線があった。戦前は旧海軍貯木場の木材輸送、戦後は蒲郡港へ運搬船で運ばれてきた石炭輸送が主な輸送品であった。運行は日本国有鉄道(国鉄)が代行していた。駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、蒲郡市内にある3駅(三河大塚駅・三河三谷駅・三河塩津駅)を管理している。駅構内には、JR全線きっぷうりばがある。TOICAおよびTOICAと相互利用しているIC乗車券の利用が可能であり、TOICA対応のタッチパネル式自動券売機3台と自動精算機がある。また改札口と各ホームにLED式発車案内板、各ホームにエレベーター、エスカレータが設置されている。

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