宇島駅前の公園にある、カラス天狗のモニュメント。

日豊本線宇島駅前の公園に設置されているカラス天狗のモニュメントでございます。このカラス天狗は豊前市マスコットキャラクターにもなっているのでございますね。県文化財の求菩提八天狗像がモチーフになっているのだそうですな。

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コメント一覧 (1件)


  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%A4%A9%E7%8B%97
    烏天狗(からすてんぐ)は、大天狗と同じく山伏装束で、烏のような嘴を持った顔をしており、自在に飛翔することが可能だとされる伝説上の生物。青天狗、小天狗とも呼ばれる。烏と名前がついているが、猛禽類と似た羽毛に覆われているものが多い。剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。また、神通力にも秀で、昔は都まで降りてきて猛威を振るったともされる。中世以降の日本では、天狗といえば猛禽類の姿の天狗のことを指し、鼻の高い天狗は、近世に入ってから主流となったものである。絵画では、平安時代末期の上皇崇徳院が讃岐に流され怨霊となって現れる場面で、烏天狗に似た姿で描かれることが多い(『椿説弓張月』など)。和歌山県御坊市では、烏天狗のものとされるミイラが厨子に入れられて保存されている。江戸時代から明治時代にかけ、修験者たちがこれを担ぎ、利益を説きながら諸国を回ったといわれる。ただしこれは、2007年に保存事業の一環として行われた調査の際、トンビとみられる鳥の骨と粘土で作られた人造物であることが判明している。もっとも、天狗のミイラに関しては科学鑑定がなされる以前にも懐疑的な意見があり、平賀源内の「天狗髑髏鑑定縁起」ではそもそも不老不死とされる天狗の骨がなぜあるのだという意見を問う者もあったということが記されている。天狗は本来鳶の姿をしているとされることが多かったが、江戸時代以降、鳥の姿をした天狗は烏天狗と呼ばれるようになった(古来、鳶と烏は一緒くたにされ併称される存在だった。)。鳶の姿の天狗が数多く登場する『今昔物語集』が書かれた平安時代末期における「トビ」は、現在のいわゆるトビではなくノスリやチョウゲンボウ等の中型猛禽類を指す言葉であり、天狗を描いた絵画ではオオタカやハイタカ、現在でいうトビの姿にも描かれているため、トビを含めた様々な猛禽類一般の姿でイメージされた様である。また、幕末に描かれた絵画では烏に近い姿で描かれており、江戸時代後期には烏のイメージが定着していたことがうかがえる。

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