賢島駅は、三重県志摩市阿児町神明にある、近鉄志摩線の駅。

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words=’近鉄志摩線の賢島駅でございます。志摩線の、というか近鉄の終着駅でございます。他の路線と接続していない正真正銘の終着駅は近鉄では数少ないのでございます。賢島駅のある賢島は正真正銘の島でございます。今では志摩線と並走する国道167号線と県道の賢島大橋で陸路でも結ばれているので島だという感覚が薄れがちですが、島の中にある終着駅なのでございます。元々観光地化するために造られた駅であり、無人島からここまで発展した経緯がある島でございます。頭端式ホームに特急列車が並ぶ光景がいつも見られます、今では観光拠点駅でございます。で、ございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    賢島駅(かしこじまえき)は、三重県志摩市阿児町神明(賢島)にある近畿日本鉄道(近鉄)志摩線の駅(終点)である。英虞湾に浮かぶ賢島(面積0.6814km²)の中央部に位置する。本州と賢島の距離はおよそ20メートルである。当駅は志摩電気鉄道の路線計画には入っていなかった。着工直前までは2つ手前の鵜方浜(鵜方駅)を終点とする計画であったが、目黒蒲田電鉄幹部に「参宮客を英虞湾まで誘致しなければ利益が見込めない」と指摘され、重役会議で英虞湾岸のかしこ島の真珠港駅まで延長することとなった。当時のかしこ島は真珠養殖場はあるものの無人島であったが、鉄道駅開設を祝し土地が寄付されたことから観光地としての開発が始まり、「賢島」と漢字表記されるようになった。開発目標は、賢島を「海の軽井沢」とすることであった。頭端式ホーム4面5線を持つ地上駅。1993年まで留置線(賢島車庫)があったが廃止されている。現行駅舎は村野藤吾が設計した。もともと特急車両の車内サービスなどでワゴンを出し入れするなど物の移動も考慮されており、プラットホームからバス・タクシーのりばなどのある北出口までほとんど階段などの段差がなく車椅子などでも容易に乗降できる構造になっている。ただし1フロア下の賢島港側南出口へは階段と上りエスカレータによって結ばれており、車椅子利用の場合は駅員に申し出ると迂回路にて案内される。鳥羽駅管理の終日有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。なお、ICカード導入当初は窓口対応、後に簡易改札機による対応であった。特急券は窓口で購入可能であるが、定期券の取り扱いは実施されていない。駅舎には1階にファミリーマート(2013年6月開店)、2階にはカフェ併設の伊勢志摩サミット記念館「サミエール」(2017年5月開館)がある。かつては2階には喫茶店(賢島宝生苑の経営する軽食堂「ラ・ペルル賢島店」)などがあった。ホーム有効長は1 – 4番のりばは8両、5番のりばは2両となっている。特急や4両編成以上の臨時列車や団体列車は1 – 4番のりば、普通列車は5番のりばから発着する。かつては現在の降車ホームが旧2・3番のりばで、普通列車は南口駅舎の西隣に現存する志摩電気鉄道時代からの駅舎に隣接した、特急用ホームより1階分低い(傾斜地なので両方とも地上)普通列車用ホーム(旧1番のりば)より発着していたが、1993年以降は特急用ホームの北側に新設された、特急用ホームと同じ高さにあるホームを使用している。またこの改修の際に、旧1番線の敷地を利用して高架線上の新1・2番のりばが造られている。利用者はほとんどが観光客である。2009年(平成21年)11月に賢島駅の近くにある志摩マリンランドの雌のフンボルトペンギン「志摩ちゃん」が特別駅長に就任した。志摩ちゃんは、近鉄志摩線の活性化を目的に駅長となり、1年間で20日、駅長帽とワイシャツの襟つきのネクタイ姿で改札に立った。2001年(平成13年)5月4日生まれである。2010年(平成22年)11月21日には、就任1周年記念式典が賢島駅で開かれ、感謝状とアジ1年分(約220kg)が送られた。同式典では、動物駅長の「先輩」である和歌山電鐵貴志駅のたま駅長から祝電が届いた。また、同日は、鳥羽 – 賢島間の「ペンギン列車」に乗務し、他のペンギン3羽とともに近鉄電車車内を行進した。翌年の2011年(平成23年)の5月29日にはコンコースに「ペンギン駅長室」が設置され、同年11月20日には志摩市の観光特使に就任した。以上のように活躍を続けてきた志摩ちゃんであったが、2012年(平成24年)6月24日の「出勤」をもって任期満了により退任することが、同年7月30日に近鉄から発表された。その後2014年(平成26年)3月22日に産卵のトラブルにより死亡した。12歳没。人間年齢に換算すると40 – 50代であった。

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