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肥薩おれんじ鉄道の肥後田浦駅でございます。単線区間にある地上駅で、単式島式複合型の2面3線と中線が存在したうちの外側1線と中線を廃止した相対式2面2線の列車交換可能な駅となっております。貨物専用線が分岐しておりましたが、そちらも廃止されて今に至っております。平屋の駅舎がある無人駅で、ホーム間は上屋付き跨線橋で連絡しております。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    肥後田浦駅(ひごたのうらえき)は、熊本県葦北郡芦北町大字小田浦958番地にある肥薩おれんじ鉄道線の駅。「田浦」は「広い田圃のある港」を意味する地名であり、古くは「田ノ浦」や「田野浦」と読まれていた。開業当時、すでに横須賀線に田浦駅が設けられていたため、当駅は熊本県の旧国名「肥後」を冠して「肥後田浦駅」となった。鉄筋コンクリート製駅舎と相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、NPO法人「ななうらステーション」が管理する簡易委託の有人駅である。かつて車扱貨物の取扱を行っていたため、ホーム間の間隔は広く空いている。トイレは改札内・外にある。この他、貨物用ホームが残っており、現在は保線作業車の留置線として使用されている。有人駅ではあるが土曜日のみの営業である。旧田浦町の中心駅であり、国鉄時代は東海カーボン田ノ浦工場従業員の利用者が多く構内で車扱貨物も取り扱っていたことから駅周辺が大変賑わっており終日有人駅であったが、東海カーボン工場の生産ラインの縮小や貨物取扱廃止、モータリゼーションの普及などにより工場従業員の利用者が激減したため、国鉄の合理化対策として1985年に一旦無人化された。その後、田浦町からの陳情や請願もあり1987年にJR九州に分割民営化された際に再び終日有人駅に昇格し、2004年に肥薩おれんじ鉄道に経営が移管された後も田浦町の中心駅として利用客も多く、平日のみ毎日8:30 – 17:00まで営業していた。しかし、2005年3月1日にたのうら御立岬公園駅が開業してからは利用客がそちらに移り、再び当駅の利用者が激減したため、2007年10月1日から毎週土曜のみ窓口営業の有人駅に格下げされた。なお、JR九州からおれんじ鉄道への移管後も開業時から2007年10月に営業時間が短縮されるまでは駅係員による改札、出札や集札が行われていたが、営業時間短縮後からは土曜日のみの営業になったため、他の有人駅と違って出札と駅管理のみを行い、改札や集札は行われていない。かつては木造駅舎で、有人駅時代は駅舎周辺には駅職員や住民が大切に育てた菊の鉢植えがたくさん飾られ、沿線利用者からは「菊の駅」として親しまれていた。現在の駅舎は1974年に建てられたもので、建築当時からの出札窓口と待合室を有する。かつては鉄道小荷物窓口も設置されていたが、こちらは無人化された1985年に閉鎖され、旧田浦町の特産品の展示スペースに改修されている。国鉄時代は1984年まで駅長所在駅で工場専用線を持ち車扱貨物の取扱いを行っていたため、比較的大きな駅舎が残る。駅長事務室内は駅業務の他に専用線の貨車入れ換え用の信号扱所や作業員詰所を併設していたため大部屋であったが、貨物取扱廃止時と無人化時、肥薩おれんじ鉄道への経営移管時と、度々改装が重ねられたことにより現在は出札窓口に小規模の事務室を構えている程度に縮小している。改装された元の駅長事務室跡には2015年4月までは芦北町商工会田浦支所が入居していたが、田浦基幹支所への移転した。同年4月以降は赤帽肥後田浦店が入居していたが、芦北町内への移転のため2020年5月20日を以て営業を終了し、以降は空き店舗となっている。

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