赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

六本木交差点に、奏でる乙女の像がございます。本郷新さんと言う方の作品でございます。奏でているのは、ギターでございます。それもクラシックギターでございます。エレキギターやフォークギターではございません、アコギなクラシックギターでございます。アコギな商売のことではございません。アコースティクギターでございます。繁華街として名を馳せる六本木ですが、かつてはお屋敷町であるとともに独特の雰囲気のある文化的な街区として著名だったのでございます。この像からはそんな雰囲気を感じるのでございます。

赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    六本木(ろっぽんぎ)は、東京都港区の町名。 六本木ヒルズをはじめとした繁華街である。また、赤坂・虎ノ門の付近はオフィスビルが建つビジネス街にもなっている。現行行政区画は六本木一丁目から六本木七丁目。港区北部に位置し、旧麻布区にあたるエリアである。区役所の麻布地区総合支所の管轄であり、「麻布」を冠さないが麻布エリアに含まれる。北で南青山、東で赤坂、南東で虎ノ門、南で麻布台・麻布永坂町・麻布十番・南西で元麻布、西で西麻布と接する。なお、東麻布とはわずかに接していない。旧:麻布区に属し、六本木一丁目、六本木二丁目、六本木四丁目、六本木五丁目の高台地域は番町、市谷船河原町、市谷砂土原町、そして赤坂の高台地区と並び特に六本木四丁目のフランシスカン・チャペルセンター周辺と六本木五丁目の鳥居坂周辺は1990年代前半頃までは独特の佇まいを残していた。現在は繁華街・歓楽街というイメージが強い傾向にある。2000年代に再開発により六本木ヒルズや東京ミッドタウン(住所上は赤坂)といったオフィス併設の大規模複合商業ビルが誕生した。六本木ヒルズや泉ガーデンタワーといったオフィスビルや新興IT企業の本社、グランドハイアット東京などの高級ホテル、高級タワーマンション、駐日大使館も多くあり、多面的・国際的な顔を見せている。六本木ヒルズ内にはテレビ朝日(テレ朝)の本社、住友不動産六本木グランドタワー内にはテレビ東京(テレ東)本社も位置している。また、国立新美術館、森美術館・森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ)、サントリー美術館(東京ミッドタウン)などの美術館が多く集積し、都内では上野(台東区)に次ぐ文化・芸術の街という側面もある。現在の六本木の町域は大半が武家地だった区域だが、江戸時代の「六本木町」は門前町で、現在の六本木交差点付近の狭い範囲を指していた。明治以降の「六本木町」は、寺院や大久保加賀守(小田原藩主)家の下屋敷跡などを含む範囲になった。武家屋敷跡がお屋敷町になった。湧き水や地下水に恵まれ金魚の養殖が盛んであった。六本木近辺には日本軍の軍事施設が置かれ、兵隊の町でもあった。龍土町(現:六本木七丁目)には1936年(昭和11年)の二・二六事件にも参加者を出した歩兵第三連隊があり、隣接する赤坂区檜町(現:赤坂九丁目)には歩兵第一連隊があった。1925年(大正14年)6月6日、赤坂溜池と六本木間で市電が開通。交通の便が良くなった。1938年(昭和13年)6月30日、集中豪雨により麻布今井町(現在の六本木四丁目)の三井邸から麻布谷町(現在の六本木二丁目)にかけてがけ崩れが発生。20余戸が押しつぶされて死者23人、重軽傷者20数人。六本木は、明治時代-昭和初期にかけて麻布区に属し、戦後麻布区から港区になったが、住居表示実施前の六本木五丁目と六本木六丁目、六本木七丁目の一部は「麻布六本木町」という麻布の冠称を持った町名であった。行政区分でも港区の地区総合支所のほか警察署・消防署・郵便局・税務署の管轄も、六本木は麻布管内となっている。1965年頃の六本木の地価は坪40万円で、麹町に次いで高かった。1967年7月1日に、この六本木町のほか、龍土町・三河台町・今井町・材木町・鳥居坂町・東鳥居坂町・永坂町(約半分)・飯倉片町(の一部)・北日ヶ窪町など麻布地区北部一帯の住居表示が実施され、六本木一丁目から六本木七丁目までの7か町に整理再編された。

コメントする

目次