柘植駅は、三重県伊賀市柘植町にある、JR西日本の駅。






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words=’関西本線と草津線の接続駅、柘植駅でございます。拙者はこの駅の読み方を中学生時代の伊勢参りの際に覚えたと記憶しております。京都市内の中学校は修学旅行は概ね東京浅草と日光でしたが、伊勢神宮へも他の課外授業の一環とかで言っておりましてね、その専用列車が京都駅から草津線を経由し関西本線~参宮線っていうルートだったんですよね。今なら近鉄一択なんでしょうけどねw 国鉄時代のレトロな気動車の専用列車でチンタラした鉄道旅だったのを覚えております。その車窓でこの駅を知り、かつ読み方も覚えたんですよね。古き良き時代でございますよ。実はそれ以来の訪問だったわけですが、草津線は電化、関西本線は本線とは名ばかりの非電化路線なんですから時代の流れを感じますね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    柘植駅(つげえき)は、三重県伊賀市柘植町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。三重県で最初に開業した駅である。当駅の所属線である関西本線と、当駅を起点とする草津線との接続駅となっている。当駅は近畿統括本部亀山鉄道部が管轄する。草津線についても三重県と滋賀県の県境付近にある境界標までの約1.4kmの区間は亀山鉄道部の管理である。なお、当駅から関西本線加茂方面および草津線方面が大阪近郊区間に入る。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅で、関西本線は列車交換が可能である。駅舎は単式の1番ホーム側にあり、島式の2・3番ホームへは跨線橋で連絡している。跨線橋には「柘植のホント!かるた」ボードを掲げ、郷土の名所や松尾芭蕉などを紹介している。トイレは1番ホームの跨線橋階段横に設置されている。明治時代の建造でかつては男女共用であったが、近年改修されて男女別になった。当駅は簡易委託駅である。早朝と夕方以降は無人(土曜日と日曜日は終日無人)となるため、関西本線列車から当駅で下車する場合は無人駅同様に車内の運賃箱で運賃を支払うことになる(窓口の営業時間外に草津線列車からの場合は改札口の運賃箱に乗車券を投入する)。また、自動券売機は設置されておらず、近距離きっぷも窓口で購入する必要がある。窓口営業時間外に関西本線を利用する場合は車内の運賃箱または駅窓口で運賃を支払い、草津線に乗車する場合は車掌から乗車券を購入する必要がある。ICOCAは草津線方面、亀山方面および加茂方面とも利用できる。なお、加茂方面と草津線方面は大阪近郊区間内であるため、運賃は最短経路で計算される。伊賀上野・加茂方面は1番のりばを使用するが、朝5時台の当駅始発加茂行きは2番のりばからの発車である。これは前日の夜に加茂発の最終列車が到着し、そのまま夜間留置運用となるからである。関西線亀山方面は2番のりば、草津線は3番のりばを使うが、草津線列車で2番のりばから発車するものと関西線・亀山方面の列車で3番のりばに停車するものがわずかながら設定されている。なお、運転取り扱い上はのりば表示と運転番線呼称が逆となり、3番のりばが「1番線」、2番のりばが「2番線」、1番のりばは「4番線」(3番線は撤去された中線を指す)にあたる。1番のりばと2番のりばの間に中線があったが現在は撤去されている(留置線として一部は存続)。2番のりば、3番のりばと北側留置線には架線が張られているが、1番のりばには架線は張っていない。関西本線の使用車両がキハ47系・キハ58系気動車からキハ120形気動車に変更された時にホームが嵩上げされた。かつては改札口上部に反転フラップ式の列車案内表示機が設置されていたが、急行「かすが」の廃止を機に撤去された。蒸気機関車が走っていた時代には、当駅 – 亀山駅間の「加太越」のための補機機関車がここで折り返していた。そのための給水塔や転車台があったが、今は撤去されている。ホーム北側にはかつて貨物列車の組成用ヤードとして使われた側線が残り、現在は草津線用電車の夜間滞泊用の留置線として使われている。夜間滞泊があるため、柘植駅乗務員宿泊所がある。早朝・夜間の草津線の電車の入れ替え作業があるため、夜間から朝のラッシュ時間帯には、運転取り扱い社員がいる。駅舎西側には、1890年(明治23年)の開業時に建てられた煉瓦積みの危険品庫(ランプ小屋)がある。駅舎は建物財産標が付いていないため建築年は不明。ホームの基礎はフランス積み煉瓦で、上屋は1890年1月と1919年(大正8年)12月付の建物財産標が付いた物が現存している。また、2・3番のりばの亀山方には、「海抜二四三米(八〇〇尺)」と漢数字で書かれた、当駅の標高243mを示す木製の標柱が立っている。

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