下山口駅は、埼玉県所沢市山口にある、西武鉄道狭山線の駅。

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words=’西武鉄道狭山線の下山口駅でございます。単線の狭山線、唯一の中間駅であり交換可能駅でございます。島式1面2線、一線スルー化されております。周囲は新興住宅街でございますね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    下山口駅(しもやまぐちえき)は、埼玉県所沢市山口に所在する西武鉄道狭山線の駅である。西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道が、1929年(昭和4年)5月[1]の同社山口線(後の西武狭山線)の開業に際して、西所沢起点1.8 kmの地点に開設した山口線の中間駅である。開業当初の当駅は線路北側に1面のみホームを有する1面1線構造で、列車交換は不可能な停留所であった。山口線は開業当時における都心部から日帰り可能な手軽な観光地の一つであった狭山自然公園への観光輸送を主目的として開業したことから、太平洋戦争激化に伴って不要不急路線に指定され1944年(昭和19年)2月に運行休止となり、当駅も営業を休止した。終戦後の1951年(昭和26年)10月に山口線(西武鉄道の路線としては初代)は「狭山線」と名称変更の上で運行を再開したが、当駅および上山口駅の中間駅については営業休止状態のままとされ、その後両駅は1954年(昭和29年)10月10日付で営業廃止となった。1970年代以降の狭山線沿線の宅地開発進捗に伴う沿線人口増加を受け、当駅は1976年(昭和51年)6月に営業を再開した。当初は開業当時と同様に1面1線構造の停留所として営業されたが、1978年(昭和53年)に狭山線の終点である狭山湖駅(現:西武球場前駅)付近に西武球場(現:西武ドーム)が開場、翌1979年(昭和54年)よりプロ野球・西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)の主催公式試合が同所にて開催されたことに伴い、観客輸送の円滑化を目的とした狭山線列車増発のため駅ホームを列車交換可能な1面2線の島式構造とする改良工事を実施、1981年(昭和56年)3月に完成した。改良工事に際しては駅ホームを線路南側に新たに建設し、旧ホームは廃棄されたが、一部は現用ホームへの連絡通路として転用され現存する。島式ホーム1面2線を有する地上駅である。駅舎はホームの西武球場前寄り・線路の北側に設置され、2か所設置された跨線橋を経由してホームに至る形態である。西武球場前寄りホーム端部に設置された跨線橋は階段式であるが、ホーム中程に設置された跨線橋はエレベーター専用である。トイレは駅舎の改札内に設けられ、ユニバーサルデザインの一環として多機能トイレが併設されている。2番線を主本線とした一線スルー形式であるため、一部2番ホームに下り列車が発着することがある。当駅付近は主に住宅地であり、当駅の北西には椿峰ニュータウンが広がるほか、柳屋(中華料理屋)などの飲食店、所沢市立山口中学校・所沢市立図書館(椿峰分館)などの教育施設、椿峰中央公園などの公園、ベルク山口店など商業施設も点在する。また当駅南方の荒幡地区には明治年間に築かれた人造山「荒幡富士」が存在し、当駅西方には平安時代末期から安土桃山時代にかけて当地を支配した豪族である山口氏の居城であった山口城の城郭跡が残る。また駅北側に隣接して日本ホーリネス教団下山口キリスト教会があり、白い十字架のある建物が良く見える。なお、当駅の所在地は前述の通り所沢市山口であり、所沢市内には「上山口」と称する地名は存在するが、「下山口」と称する行政地名は存在しない。

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