宝永町停留場は、高知市中宝永町にある、とさでん交通後免線の停留場。




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words=’とさでん交通後免線の宝永町停留場でございます。併用軌道上にある、交差点を挟んで千鳥式に配置されている相対式2面2線の停留場でございます。500mほど離れてはいますが、地球33番地への最寄電停でございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    宝永町停留場(ほうえいちょうていりゅうじょう)は、高知県高知市中宝永町にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場。当停留場は1908年(明治41年)、下知停留場(しもぢていりゅうじょう)の名で開業した。伊野線の堀詰停留場からはりまや橋を経て後免線の路線が開通した際に開かれた停留場であり、当時の路線は当停留場まで。後免町方面に路線が通じたのは翌1909年のことで、この時は葛島橋西詰までが開通した。停留場名が宝永町に改められたのは1938年(昭和13年)。その後1943年(昭和18年)に停留場はいったん休止されるも、9年後に復活している。宝永町停留場は後免線の併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されるが、互いのホーム位置は東西方向に離れている。東にあるのが後免町方面行きのホーム、西にあるのがはりまや橋方面行きのホーム。かつては停留場の南側付近に下知車庫が置かれていたが、1957年(昭和32年)に廃止され、代わって知寄町車庫が完成している。「宝永町」の名は1707年(宝永4年)の宝永地震を機に造成された「宝永堤」に由来する。

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