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惜別、故郷の駅&生家
ただいま阪急西院駅(こちらは「さいいん」と読む)と嵐電西院駅(こちらは「さい」と読む)のリニューアル工事が進捗中なんだけど。この2012年7月に撮影した写真でどう変化するのか纏めると・・・拙者が撮影しているのは嵐山方面行ホームなんだが、これが撤去されて向かい側の電車が居るところへ移動する。現在の写真の電車の左側のビルは、元々京福電鉄の持ち物であるけれど、このたび解体撤去され新たに嵐山方面行のホームと、この下にある阪急西院駅河原町方面行ホームにつながる通路を含んだ新しいビルに建て替わる。写真の右側のビルが撤去されて新たに嵐山方面行のホームと、この下にある阪急西院駅河原町方面行ホームにつながる通路を含んだ新しいビルに建て替わる。同じホームから反対側の四条大宮方面を見た写真。電車の後方にあるのは拙者の母校である京都市立朱雀第七小学校。この写真を撮影した場所であるホームが撤去される。阪急西院駅の既存建物も新たに建て替わる。つまり、これまでは阪急西院駅から嵐電に乗り換えるには、いったん地上に出て西大路四条交差点経由で四条通を徒歩移動していたものが、阪急のホームから直接的に行けるようになるわけだ・・・。ずいぶん昔からこの計画自体はあったけれど地元商店会の反対なんぞで実現しなかった経緯があるのだ、と20年近く前に実母から聞いたんだった。
解体・更地ととなった実家跡
これまで実母とともに住んでいた実弟家族はここを手放し移転するに及んだので、この写真のように解体、更地を経て、現在では購入した人によって新しく別の家が建っているんである。まあ拙者は16~7歳の頃から既にここを離れた身なんで、少しばかりの感慨を覚えるのみなんだが。

市電梅津線、トロリーバスに切り替え

検索したら出てきたんだが、市電梅津線がトロリーバスに切り替えられる頃の一枚。切り替えられた日のことの風景をまだ幼かったにも関わらず覚えている。それは市電梅津線に一度も乗ったことがないのに無くなってしまうことが悔しかったという記憶。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    西院駅は、京都府京都市にある阪急電鉄・京福電気鉄道の駅。駅名の漢字による表記は同じだが、阪急が「さいいん」、京福が「さい」と読む。阪急京都本線と京福嵐山本線の2路線が乗り入れ。阪急の駅は地下にあり、その地上付近に京福の駅がある。かつて所在地一帯は淳和院が置かれていた地域だが、淳和院の別称である西院が地名となり、駅名に採用されている。現在の地名の読みは「さいいん」である。小沢嘉三『西院の歴史』(西院の歴史編集委員会、1983年)によると、元来は「さいいん」と読み、平安時代から鎌倉時代(12 – 13世紀頃)の文書では「さいゐん」であり、弘安10年(1287年)の文書に初めて「さゐ」の呼称が出現しており、なまって「さい」と呼ぶようになったのではないかと考察されている。江戸時代のこの一帯の名は「西院(さい)村」。戦国時代に記された上杉本洛中洛外図屏風にも、この付近にあった西院城(西院小泉城)が「さい(こいずみ)のしろ」と明記されている。また近代に入っても、地元の発音は依然として「さい」が使われていた。近代に入り、地元民の呼称とは別に、当時の自治体名(西院村)の読み方は「さいいん」で、軍隊では点呼の際に「さいいん」と呼ぶことが厳命されるなど、公称としては「さいいん」が優位になり、1934年に京都府の告示により正式に「さいいん」が公称化された。また、公的文書による裏付けはないものの、京福の駅名は当初「さいん」であったものが1933年(昭和8年)頃に「さい」に変更した、という地元在住者による証言を収録した書籍もある。阪急西院駅の西改札口前に西大路四条(阪急・嵐電西院駅)停留所が設けられており、京都市営バス・京都バス・京阪京都交通が乗り入れている。

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