門司港駅は、北九州市門司区西海岸一丁目にある、JR九州鹿児島本線の駅。

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この駅自体が観光の対象なんですから大したものでございます、門司港駅。駅舎は重要文化財に指定されてますものね。古き善きものを朽ち果てさせることなく綺麗に整備しなおせば民衆の支持と脚光を浴びるという顕著な好例でございましょ。私は高齢ですが、関係ないしほっといてんか。いやいやいや、それにしても興味深いものが多過ぎてからに、時間が足らんちゅら。あとは小倉から新幹線で岡山に戻りますですよ。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    門司港駅(もじこうえき)は、福岡県北九州市門司区西海岸一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。駅番号はJA31。同線の起点駅。関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わった。駅舎は重要文化財に指定されている。日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第1位にランクされた。当初は、九州鉄道の起点の駅、門司駅として1891年(明治24年)4月1日に開設された。初代の駅舎が建てられたのは現在の門司駅舎が所在する地点よりも東側、今の北九州銀行門司支店の裏手に当たっていた。1901年(明治34年)5月27日には関門連絡船の運航が開始され、本州の鉄道と結ばれて多くの旅客と貨物がこの駅を経由することになった。しかし間もなく、1911年(明治44年)10月から下関 – 小森江間で貨車の車両航送が開始されて、貨車は直接連絡船に載せて本州と九州の間でやり取りされるようになり、当駅を経由するのは旅客が中心となった。1914年(大正3年)に、2012年現在も存在する2代目の駅舎が完成し、移転開業した。その後も九州の鉄道の起点としての地位を保っていたが、関門トンネルの開通に伴って門司駅の名前は関門トンネルが接続することになる従来の大里駅に使うことになり、当駅は門司港駅へと改称した。それまでは門司の埠頭にある貨物輸送用の駅が門司港駅(こちらの読みは「もじみなと」)と称しており、これに合わせて貨物駅は門司埠頭駅に改称された。それ以降の当駅は、本州と九州を連絡する鉄道輸送の流れから外れることになった。第二次世界大戦に際しては、1945年(昭和20年)3月5日に米軍の空襲を受け、駅構内で3名が死亡した。21世紀になってからの駅舎復元工事の際には、駅舎に残されていた機銃や爆弾の痕跡が発見された。門司港駅が輸送の流れから外れたのちも、門司鉄道管理局や国鉄九州総局などは引き続き門司港駅のそばに置かれ、国鉄分割民営化後もJR九州は異例の福岡と北九州の2本社体制を維持して、門司港駅脇に北九州本社が引き続き置かれていた。しかし福岡本社への統合に伴い2000年(平成12年)に北九州本社は閉鎖となっている。この建物は旧三井物産門司支店として現存する。それ以降は門司港レトロへの観光客などが利用する駅となっている。

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