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words=’能勢電も高架になったのは1996年(平成8年)のことでしたか。この駅はみるみるうちに立派で大きな駅になっていったって感覚が残っております。子供の頃に妙見山に行ったことがありましたが、その時のこの駅って結構レトロな雰囲気だったのを薄っすら覚えていますので。その後は通っても通過するばかりでしたので、いったいいつ振りだろうってな感覚で今回能勢電に乗りに来たのでございます。 ‘
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    川西能勢口駅(かわにしのせぐちえき)は、兵庫県川西市にある、阪急電鉄・能勢電鉄の駅である。共同使用駅となっている。阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道が宝塚まで開通したのは1910年(明治43年)であったが、この時点では川西能勢口駅は開業しておらず、能勢電鉄の前身能勢電気軌道が開業する際に当駅が当初は 能勢口駅として、1913年(大正2年)4月8日に開業した。その5日後の4月13日に能勢電気軌道が一の鳥居駅までを開業した。能勢電気軌道は当初から経営状況が悪く、開業翌年には破産宣告を受け、阪急の資本を受け入れて残りの計画路線の建設を行った。駅の近くには、現在のJR川西池田駅よりも池田側に寄った位置に阪鶴鉄道(JR福知山線の前身)が1893年(明治26年)に池田駅を開設しており、これに連絡して乗客を獲得する目論見で、能勢電気軌道が1917年(大正6年)4月13日に池田駅前駅まで当駅から路線を延伸した。能勢電気軌道は、開業時は阪急の駅に対しほぼ垂直にホームが設置されていたが、この路線延長の際に阪急の駅に対して平行なレイアウトとなった。市名を駅名に入れることを川西市が要望したため、1965年(昭和40年)に現在の駅名となった。なお、能勢電側の駅はその前の3か月間川西駅を名乗っていた。また池田駅前駅もこの頃川西国鉄前駅に改称された。1961年(昭和36年)に能勢電鉄の増資を阪急が引き受けて同社は阪急の子会社となっており、阪急と能勢電鉄の関係が深まったが、駅は一体化されていなかった。1975年(昭和50年)には阪急日生ニュータウンが販売開始、1978年(昭和53年)に能勢電鉄日生線が開通と能勢電鉄沿線での住宅開発が進展して、次第に能勢電鉄と阪急を乗り継ぐ利用者が増加し、1980年(昭和55年)に連絡改札口が設けられた。一方、当駅から川西国鉄前駅までの区間は1駅間のみを往復する電車が走るだけの区間となっており、駅前再開発工事に伴い1981年(昭和56年)12月20日に廃止となった。1996年(平成8年)3月24日に能勢電鉄も高架になり、1997年(平成9年)11月16日に能勢電鉄と阪急宝塚線を結ぶ連絡線が完成すると、日生中央駅と梅田駅を直通する特急日生エクスプレスが運転されるようになった。阪急と能勢の間で直通運転を行っている日生エクスプレスは、上り下り問わず3号線でスイッチバックを行って進行方向を変える。

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