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DoraNeko

2004年に現駅の形態になるまでの間、日本一危ない駅、日本一怖い駅、とテレビで取り上げられた阪神春日野道駅でございます。現在もなお残っている線路間にあるとてつもなく幅の狭い危険なホームしかなかったんですから、そう言われるのも無理はございませんでしたですね。しかし、そんな状態でも70年間無事故だったという驚くべき事実がございます。てか、事故があったら困りますがね。現在はこのように遺構として見れる状態にあります。しかし、凄い狭さですな。同名駅、阪急神戸線の春日野道駅も狭さで有名になってますが、あちらは高架駅で、こちらは地下駅ですからね~。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    春日野道駅(かすがのみちえき)は、兵庫県神戸市中央区吾妻通一丁目にある、阪神電気鉄道本線の駅。国道2号の真下に相対式ホーム2面2線を有する地下駅である[1]。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。2004年(平成16年)9月25日始発から新ホームに切り替えられ、三宮方に西改札口が新設された。2005年(平成17年)8月6日までは仮使用状態でホーム有効長が19m級の阪神車5両編成分しかなく、平日朝に停車する東須磨行準急6両編成は三宮方1両をドアカットしていた。このため、阪神赤胴車6両編成の三宮寄り先頭車 (1号車) には「下り春日野道駅 ではこのドアは 開きません」というステッカーが貼られていた。東改札口および新地下道設置工事が進捗した同年8月7日から旧ホームと同様に阪神車6両編成が停車可能となった。ただし、2006年(平成18年)10月28日のダイヤ改正以降は6両編成の停車はなくなっている。21 m級の近畿日本鉄道車両6両編成の停車は不可能である。2004年までの旧ホームは、ホームから線路を挟んだ反対側(上下線間)に一部施設が未撤去の状態で残っており、ホームから見ることができる。1934年(昭和9年)から2004年まで、当駅は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ホームの幅はわずか2.6 mだった。これは電車の車体の幅(約2.8 m)よりも狭い。「日本一危ない駅」や「日本一怖い駅」として、『ニューススクランブル』(読売テレビ)や『投稿!特ホウ王国』など全国ネットのテレビ番組で取り上げられたこともある。岩屋 – 三宮間地下化工事は、大林組の施工により1931年2月着工、1933年6月に開通した。春日野道新駅は、地下化の翌年である1934年5月1日に開業した。社史類には記述はないが、この狭いホームは以下のような経緯で成立したと言われている。春日野道駅は、1933年に岩屋駅以西が地下化される際に廃止される予定であった。しかし、当時駅周辺は川崎製鉄などの工場地帯で、沿線住民に加えて多くの工場労働者が当駅を利用しており、その反対を受け、地下化直前に駅存続へと方針転換されたという。しかし、実際には1929年8月の施工認可申請の時点で春日野道新駅設置の計画は既にあり、1930年11月時点でも計画に変更は無かった。当初は幅3 m×長さ120 mでホームが建設されたが、その後の車体拡幅によりホームが上下各0.2 m削られ、幅2.6 mになった。1986年に公布された鉄道事業法ではホームの幅を原則3 m以上と規定している。こうして線路に挟まれた幅わずか2.6 mのホームが出来上がったが、さらにホーム中央には一定間隔毎に地下トンネル特有の太いコンクリート柱があったため、柱からホームの端までは子ども1人が両手を横に広げた程度であった。当駅を電車が通過する際は、幅の狭さと地下駅ゆえの強い列車風により、危険であったため、阪神も以下に挙げられる様々な対策をとっていた。待合用のベンチはホームではなく改札口横の一角に設置され、その場所が待合空間として利用されていた。ホームには柱間に金属製の安全柵が設置された。電車接近時の案内放送は、以下の通りだった。待合空間では、到着電車接近時に、「まもなく、(大阪/神戸)方面行電車がまいります。ホームへお越し下さい」という駅独自の自動音声が、ホームまでの階段移動時間も考慮して流れるようになっていた。自動音声の直前に阪神標準の電車接近予告メロディが流れたが、この待合空間だけは到着電車の接近を知らせるにもかかわらず、通過電車接近用のメロディが使われていた。ホームでは、電車接近時に他駅と同様の自動音声並びに冒頭のメロディに加えて、踏切警報機音と壁に設置された電車接近を知らせる電光表示器(橙色の「電車が来ます・ご注意下さい」のLED表示と4つの矢印が時間差で点滅)により、聴覚的・視覚的に到着および通過電車の接近を警告した。通過電車は長らく75 km/h程度で通過していたが、やがて45 km/hに制限され、駅進入時に警笛を鳴らすようになった。この他、当駅と同じ地下駅の岩屋駅、西元町駅、福島駅を通過する列車も警笛を鳴らす。(大開駅、西代駅通過時は警笛吹鳴は行わない)。幅の狭い危険なホームであったが、阪神による上記の対策、及び駅構造を要因とする利用者自身の注意喚起があった結果、設置から廃止までの70年間、無事故であった。

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