石巻駅は、宮城県石巻市鋳銭場にある、JR東日本の駅。











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words=’永らく仙石線の駅と石巻線の駅の二つに分かれていた石巻駅でございます。統合されて現在の形になったのは1990年(平成2年)ということですからまだ最近の話でございますね。統合されてなお、2面5線のホーム、単式ホームが各1線分ずつ切欠になっているとか、構造が面白くて興味津々だったのでございます。それと幼い頃にはご多分に漏れずサイボーグ009の愛読者でございましたので、駅のみならず街中に石ノ森章太郎作品が所狭しと置かれているのにも興味津々でございました。石ノ森萬画館の周辺は今なお復旧工事たけなわでございますね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    石巻駅(いしのまきえき)は、宮城県石巻市鋳銭場(いせんば)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。石巻線と仙石線が乗り入れており、このうち石巻線を所属線としている。仙石線は当駅が終点であり、あおば通駅発着系統と、高城町駅から東北本線へ直通する仙石東北ライン系統が発着する。一部の仙石東北ライン系統は石巻線へ直通する。1892年(明治25年)の鉄道敷設法において「宮城県下仙台ヨリ山形県下天童若ハ宮城県下石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形町ニ至ル鉄道」が規定され、石巻に鉄道を敷設することが法律で示されたものの着工はされず、また2度の私設鉄道が計画されたものの実現には至らず、石巻における鉄道敷設は困難が続いた。実業家で貴族院議員だった荒井泰治が中心となって設立した仙北軽便鉄道株式会社が、土地の無償提供や寄付などを受けて、1912年(大正元年)に石巻と小牛田を結ぶ路線をようやく開通させ、ここに石巻駅が誕生した。この仙北軽便鉄道は後に国有化され、軌道幅を広げて石巻線となり、女川まで延伸される。一方、宮城電気鉄道が仙台から線路を順次延伸させ、1928年(昭和3年)に石巻まで開通した。宮城電気鉄道も太平洋戦争中に戦時買収によって国有化され仙石線となるが、このような経緯から、同じ国鉄の駅でありながら、石巻線と仙石線で駅舎が別々に分かれているという形態になった。このため、石巻線と仙石線を乗り継ぐ乗客は一旦、駅の改札を出る必要があった。地元では仙石線の駅を「電車駅(または電車口)」、石巻線の駅を「汽車駅(または汽車口)」と呼んで区別していた。駅長室やみどりの窓口は石巻線側の駅舎にあった。国鉄において、このような形態の駅は石巻駅の他に、尼崎駅(東海道本線・福知山線と福知山線尼崎港支線)、浜川崎駅(南武線と鶴見線)、宇美駅(香椎線と勝田線)の3つが存在した。二つの駅舎を統合するという構想は1940年代後半から存在した。1950年(昭和25年)に石巻市が描いた都市計画では、石巻駅を北方に100メートル程移動させ、駅舎を統合することが考えられていた。この頃は、現在の気仙沼線に当たる三陸鉄道の建設が気仙沼付近で中断している状態であり、この駅の改造計画は三陸鉄道の乗り入れも想定したものだった。三陸鉄道の工事が前谷地から始まった後、石巻市は石巻と柳津を結ぶ鉄道路線の建設を国に働きかけたが、この構想はほとんど顧みられず、駅舎の移動、統合計画も立ち消えた。1978年(昭和53年)には石巻駅付近を高架化して駅舎を統合する構想が持ち上がったが、財源の問題や地権処理の困難さからこれも実現の見通しは立たなかった。高架化は保留され、石巻線の駅を基盤として仙石線を移設することが決まり、1989年(平成元年)から工事が始まった。石巻線の駅舎だった建物は向かって左側に大きく拡張され、翌年1990年(平成2年)7月21日に石巻線と仙石線の統合駅舎が完成した。当日はセレモニーが行われて新しい駅舎が祝われる一方、かつての仙石線の駅舎は取り壊されることになった。また駅の整備に前後して、駐車場や駐輪場、駅を縦断する南北自由通路が設置された。2002年(平成14年)石巻駅は「南三陸金華山国定公園の玄関口」として東北の駅百選に選定された。2面5線のホームを有する地上駅。駅舎に面した単式ホーム(3番線)と、その北側にある島式ホーム1面2線(4・5番線)を、石巻線の列車が使用する。2つのホームはエレベーター付きの跨線橋で連絡している。単式ホームの西側は南北が各1線ぶんずつ切り欠かれており、仙石線はこの切欠きホーム2線(1・2番線)を使用する。2番線の南側にはホームのない側線1線があり、これら3線は直流電化されている。先述のとおり、かつては仙石線の駅が石巻線の駅と別になっており、仙石線のりばは現在よりも陸前山下駅寄りに頭端式ホーム2面2線を有していた。小牛田駅と石巻港駅を結ぶ貨物列車が当駅で方向転換のため機回しを行う。入換時の機関車の操車業務は日本貨物鉄道(JR貨物)グループのジェイアール貨物・東北ロジスティクスが受託している。5番線の北側には、ホームのない側線1線と機回し線1線がある。入換作業はこの2線ならびに4・5番線で行っている。仙石線ホームには発車メロディがある。平日と休日でメロディが異なるのが特徴で、曲名は平日が「A Sea Bird」休日が「Sea Green」である。また、後者は音源にウミネコの鳴き声が入っている。この曲は石巻市出身の作曲家・大阪音楽大学教授、副学長である和泉耕二の作曲である。なお、石巻線ホームはメロディではなくベルである。

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