DoraNeko にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 [talk words=’紀勢本線の那智駅でございます。昭和11年暮れに完成した、熊野那智大社を模したという社殿風駅舎でございます。隣にはその駅舎の外観デザインを踏襲した交流センターが軒を連ねております。こちらには温泉施設「丹敷の湯」が併設されておりますな。駅前にサッカーの普及に貢献した中村覚之助の顕彰碑、紀勢本線敷設の立役者となった政治家の山口熊野頌徳碑がございますな。そして何故かここにも黄色い郵便ポストがあるのでございます。’ avatarshape=3 bdcolor=#1e73be bgcolor=#fff avatarsize=50 avatarimg=”https://doranekoweb.com/web-memorandum/wp-content/uploads/doraneko.png”] DoraNeko にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 和歌山県 那智勝浦町 鉄軌道 駅 JR JR西日本 鉄道 普通鉄道 紀勢本線 きのくに線 那智駅 この記事が気に入ったら フォローしてね! Follow @web_dora よかったらシェアしてね! URLをコピーしました! URLをコピーしました! 三輪崎駅は、和歌山県新宮市三輪崎一丁目にある、JR西日本紀勢本線の駅。 紀伊勝浦駅は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、JR西日本の駅。 関連記事 新宮駅は、和歌山県新宮市徐福二丁目にある、JR西日本・JR東海の駅。 2022年1月16日 椿駅は、和歌山県西牟婁郡白浜町椿にある、JR西日本紀勢本線の駅。 2023年3月26日 学門駅は、和歌山県御坊市湯川町財部にある、紀州鉄道の駅。 2022年1月19日 高野口駅は、和歌山県橋本市高野口町名倉にある、JR西日本和歌山線の駅。 2023年4月4日 うめ星電車は、和歌山電鐵貴志川線リニューアル列車第4弾。 2020年10月17日 橋本駅は、和歌山県橋本市古佐田一丁目にあるJR西日本・南海電鉄の駅。 2020年10月11日 紀伊御坊駅脇のほんまち広場603に保存展示されている、キハ600形603号。 2022年1月19日 南海加太線は、和歌山市駅から加太駅までを結ぶ南海電鉄の路線。 2020年10月18日 コメント一覧 (1件) Wikipediaから引用 那智駅(なちえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。かつては那智観光の玄関口であったが、現在その機能は紀伊勝浦駅に集約されているため、特急はすべて通過するが、1984年2月までは寝台特急「紀伊」・特急「南紀」(一部)が停車していた。また、近年でもまれに特急「くろしお」号が臨時停車することがある。相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。1番のりば側に駅舎があり、ホーム間は地下道で結ばれている。駅の裏手、2番のりばのすぐ裏側は那智丹敷浦(那智海水浴場、別名「ブルービーチ那智」)であり、ホームからも砂浜を眺めることができる。1936年(昭和11年)12月竣功の駅舎は熊野那智大社を模し、社殿風のデザインとなっている。駅舎そのものは無人駅であるためがらんどうであるが、1998年(平成10年)8月、この駅舎に那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築された。那智駅交流センターは2階建てで、1階にはくつろぎ広場という、マッサージチェアや飲み物等の自動販売機の設置された休憩室および、地元の農産物を直売する産品販売所や特産品を取り扱う特産品売場などが、2階には町営温泉「丹敷の湯」(入浴料は大人600円、子供300円)がある。なお、駅前には「山口熊野頌徳碑」と「中村覚之助顕彰碑」が建立されている。山口熊野(やまぐちゆや、1864年 – 1950年)は和歌山県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定にまでこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。この碑はそれを記念するものであって、題字を世耕弘一が、碑文を郷土史家の田原慶吉が、書を古谷丈夫がそれぞれ担当し、1940年(昭和15年)8月6日に建立された。中村覚之助(なかむらかくのすけ、1878年 – 1906年)は日本サッカーの普及に貢献した人物で、それぞれ日本初とされるサッカー指導書の発刊、蹴球部の創設、試合の開催を行った。日本サッカー協会のシンボルである八咫烏は、熊野那智大社の八咫烏をヒントにデザインされたとされる。2002年(平成14年)に和歌山文化協会第53回先覚文化功労者として顕彰されたことを機に、石碑も建立された。那智観光の拠点で、熊野那智大社や那智滝、那智山方面への道が駅前から那智川沿いに延びている。また、夏は駅裏手の丹敷浦への海水浴客でにぎわう。当駅は、近畿の駅百選の第二回認定駅である。 返信 DoraNeko へ返信する コメントをキャンセルコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ
Wikipediaから引用 那智駅(なちえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。かつては那智観光の玄関口であったが、現在その機能は紀伊勝浦駅に集約されているため、特急はすべて通過するが、1984年2月までは寝台特急「紀伊」・特急「南紀」(一部)が停車していた。また、近年でもまれに特急「くろしお」号が臨時停車することがある。相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。1番のりば側に駅舎があり、ホーム間は地下道で結ばれている。駅の裏手、2番のりばのすぐ裏側は那智丹敷浦(那智海水浴場、別名「ブルービーチ那智」)であり、ホームからも砂浜を眺めることができる。1936年(昭和11年)12月竣功の駅舎は熊野那智大社を模し、社殿風のデザインとなっている。駅舎そのものは無人駅であるためがらんどうであるが、1998年(平成10年)8月、この駅舎に那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築された。那智駅交流センターは2階建てで、1階にはくつろぎ広場という、マッサージチェアや飲み物等の自動販売機の設置された休憩室および、地元の農産物を直売する産品販売所や特産品を取り扱う特産品売場などが、2階には町営温泉「丹敷の湯」(入浴料は大人600円、子供300円)がある。なお、駅前には「山口熊野頌徳碑」と「中村覚之助顕彰碑」が建立されている。山口熊野(やまぐちゆや、1864年 – 1950年)は和歌山県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定にまでこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。この碑はそれを記念するものであって、題字を世耕弘一が、碑文を郷土史家の田原慶吉が、書を古谷丈夫がそれぞれ担当し、1940年(昭和15年)8月6日に建立された。中村覚之助(なかむらかくのすけ、1878年 – 1906年)は日本サッカーの普及に貢献した人物で、それぞれ日本初とされるサッカー指導書の発刊、蹴球部の創設、試合の開催を行った。日本サッカー協会のシンボルである八咫烏は、熊野那智大社の八咫烏をヒントにデザインされたとされる。2002年(平成14年)に和歌山文化協会第53回先覚文化功労者として顕彰されたことを機に、石碑も建立された。那智観光の拠点で、熊野那智大社や那智滝、那智山方面への道が駅前から那智川沿いに延びている。また、夏は駅裏手の丹敷浦への海水浴客でにぎわう。当駅は、近畿の駅百選の第二回認定駅である。 返信
コメント一覧 (1件)