大山崎駅ホームからサントリー山崎蒸溜所を眺めております。


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words=’若くして生まれ育った故郷である京都市を離れた拙者でございましてね。成人して酒を嗜むようになりますといつしかウイスキー党になったのでございます。最近ではビールのみなんですがね、おかげで腹デブになってしまいましたですわw 特に30代~40代には滅多に関西に戻ることなく関東で生活しておりましたのでね、サントリーウイスキー「山崎」のラベル見るたびにこの山崎蒸溜所の姿が目に浮かんだものでございます。瞼に残るのは、間近を通る東海道本線の車窓から見る山崎蒸溜所ではなく、この阪急京都線の車窓から見る山崎蒸溜所なのでございます。阪急京都線西院駅付近で生まれ育った拙者でございますので、それは必然でございますね。この景色を見ると色々と込上げるものがいまだにございます。’
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DoraNeko

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    山崎蒸溜所(やまざきじょうりゅうしょ、英語: Suntory Yamazaki Distillery)は、大阪府三島郡島本町にあるサントリースピリッツのウイスキー蒸留所である。同蒸溜所では、同社のシングルモルトウイスキーの主力銘柄である「山崎」を生産し、同蒸溜所及びインターネットショップ限定販売の山崎の樽出原酒を生産する。サントリーでは、山崎を「水生野」(みなせの)と呼ばれた名水の地だとしている(近くの水無瀬神宮の離宮の水は名水百選に選ばれている)。また、かつて千利休は山崎に茶室を設け、水質の良さと3つの川(宇治川、木津川、桂川)が合流するために霧が立ち込めている立地がウイスキーづくりに適しているとされる。1923年、寿屋(現・サントリーホールディングス)によって日本初のモルトウイスキー蒸留所として山崎蒸溜所が開設された。寿屋創業者・当時の社長である鳥井信治郎は、本格的なウイスキー製造を目指し、蒸溜所開設を企画し、1923年、スコッチ・ウイスキーの本場スコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝を招聘、山崎蒸溜所長に任じた。竹鶴は日本におけるウィスキーづくりの好適地は北海道であることを訴えるが、鳥井は輸送コストがかかることに加え、工場見学を消費者にしてもらうことを考えていたため、工場の位置だけは京阪神付近の交通の便が良い所で良い水のある場所にするように命じ、それ以外のことは竹鶴に任せたとされる。1929年、山崎蒸溜所は日本初のウイスキー(ジャパニーズ・ウイスキー)「白札」を製造・出荷した。竹鶴は10年の契約期間が終了した際、鳥井との基本的な方向性の違い(竹鶴は経営的には不利でも北海道に蒸溜所を作りたかったことなど)もあり契約を更新せず寿屋を退社し、北海道余市郡余市町に大日本果汁(のちのニッカウヰスキー)を興している。山崎蒸溜所建設の準備資料や設計図「壽屋スコッチウヰスキー醸造工場設計図」は初代所長・竹鶴政孝の遺品中に発見され、余市蒸留所のウイスキー博物館で展示されている。

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