六地蔵駅は、京都市伏見区桃山町中島町にある、京阪電気鉄道宇治線の駅。










[talk
words=’京阪電気鉄道宇治線の六地蔵駅でございます。相対式2面2線でホームは盛土上にございます。JR西日本奈良線、京都市営地下鉄東西線の六地蔵駅とは約400m離れております。この京阪六地蔵駅は京都市伏見区にございますが、奈良線と地下鉄東西線の六地蔵駅は宇治市に位置しております。六地蔵という地名は付近にある大善寺が古くから六地蔵さんと呼ばれていたことから付けられたものでございます。駅の歴史としては京阪の駅が圧倒的に古いのですが、地下鉄東西線の六地蔵駅が奈良線と連絡する位置に出来たことから現在ではそちらの方が栄えておりますですな。’
align=r avatarshape=3 bdcolor=#1e73be bgcolor=#fff avatarsize=50 avatarimg=”https://doranekoweb.com/web-memorandum/wp-content/uploads/doraneko.png”]

DoraNeko

にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    六地蔵駅(ろくじぞうえき)は、京都府にある京阪電気鉄道・西日本旅客鉄道(JR西日本)・京都市交通局(京都市営地下鉄)の駅である。京阪電気鉄道の宇治線、JR西日本の奈良線、京都市営地下鉄の東西線が乗り入れており、京阪の駅は京都市伏見区桃山町中島町に、JR西日本・京都市営地下鉄の駅は宇治市六地蔵奈良町に所在している。山科川を挟んで西側の京阪の駅は京都市伏見区にあり、東側にあるJRおよび地下鉄の駅は宇治市にあり2市に分かれた駅となっているが、元々この地は一つの六地蔵村であったのが1889年の町村制の施行により山科川以西は紀伊郡堀内村の一部となり、一方の山科川以東は宇治郡宇治村の一部となったため。1913年の京阪の駅開設当時は駅のある紀伊郡堀内村にも大字六地蔵の地名は残っていたが、1931年に京都市に編入された際に六地蔵の地名は消滅する。六地蔵の地名の由来は駅の西北西にある京都六地蔵(京の六地蔵めぐり)の一つでもある大善寺が古くから「六地蔵さん」と呼ばれ親しまれていることによるもの。長らく京阪の単独駅であったが、1992年に奈良線の増発のために列車交換設備を設けた新駅としてJRの駅が宇治市側に、2004年に地下鉄の駅がそれぞれ開業し、これ以降は京阪の宇治線、JR西日本の奈良線、地下鉄の東西線の3路線の駅が同じ名称を名乗っている。なお、地下鉄の駅は同地下鉄で唯一、京都市外に位置している。JRと地下鉄の駅は地上と地下のほぼ同位置だが、京阪の駅とは南西へ徒歩5分(距離にして約400m)程度離れており、両駅の連絡は山科川沿いの一般道路を経由する。大阪から大津への短絡ルートとして六地蔵線(堀内村六地蔵 – 醍醐 – 滋賀県石山村 12.5km)が京阪の手で1926年(大正15年)7月14日出願され、翌1927年(昭和2年)10月28日特許されるが、1937年(昭和12年)2月26日付けで「六地蔵線起業の廃止」が許可されている。当時の計画では六地蔵駅を西側へ移設、奈良街道沿いに北上し、現在名神高速道路となっている旧東海道線跡を使い大津へ達する計画だった。線路敷設予定地の一部が「新奈良街道(伏見区石田合場橋-伏見・山科両区の区境付近)」として利用され、新京阪山科線と接続予定であった山科駅の予定地が京阪バス山科営業所(山科区大宅)となっている。山科川堤防の盛土に造られた相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、有効長はそれぞれ5両編成分である。ホームはカーブした線形の途中に設置されている。1階には改札が1箇所、2階には方面別のホームがあり、中書島行きホームのみ待合室が設置されている。改札階とホーム階の間は階段のほか車椅子対応のエレベーターが設置されていて、改札階のトイレにはオストメイト対応の多目的トイレが設置されるなどバリアフリー対応がなされている。

DoraNeko へ返信する コメントをキャンセル

目次