紀勢本線の那智駅、二度目の訪問なのでございます。












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words=’紀勢本線の那智駅でございます。きのくに線の愛称区間に含まれております。昨年2022年1月に続き、二度目の訪問でございます。単線区間にある地上駅で、相対式2面2線の、列車交換可能な駅となっております。熊野那智大社を模した朱色の社殿風の駅舎が印象的でございますね。駅舎とホームは地下道で連絡しております。かつては特急が停車していた駅でございますが、無人駅となっております。駅舎隣には駅舎と同じデザインの那智駅交流センターが併設されております。二度目なのに来た理由?忘れました(←なんじゃそれw)。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    那智駅(なちえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。かつては那智観光の玄関口であったが、現在その機能は紀伊勝浦駅に集約されているため、特急はすべて通過するが、1984年2月までは寝台特急「紀伊」・特急「南紀」(一部)が停車していた。また、近年でもまれに特急「くろしお」号が臨時停車することがある。相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。1番のりば側に駅舎があり、ホーム間は地下道で結ばれている。駅の裏手、2番のりばのすぐ裏側は那智丹敷浦(那智海水浴場、別名「ブルービーチ那智」)であり、ホームからも砂浜を眺めることができる。1936年(昭和11年)12月竣功の駅舎は熊野那智大社を模し、社殿風のデザインとなっている。駅舎そのものは無人駅であるためがらんどうであるが、1998年(平成10年)8月、この駅舎に那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築された。那智駅交流センターは2階建てで、1階にはくつろぎ広場という、マッサージチェアや飲み物等の自動販売機の設置された休憩室および、地元の農産物を直売する産品販売所や特産品を取り扱う特産品売場などが、2階には町営温泉「丹敷の湯」(入浴料は大人600円、子供300円)がある。なお、駅前には「山口熊野頌徳碑」と「中村覚之助顕彰碑」が建立されている。山口熊野(やまぐちゆや、1864年 – 1950年)は和歌山県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定にまでこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。この碑はそれを記念するものであって、題字を世耕弘一が、碑文を郷土史家の田原慶吉が、書を古谷丈夫がそれぞれ担当し、1940年(昭和15年)8月6日に建立された。中村覚之助(なかむらかくのすけ、1878年 – 1906年)は日本サッカーの普及に貢献した人物で、それぞれ日本初とされるサッカー指導書の発刊、蹴球部の創設、試合の開催を行った。日本サッカー協会のシンボルである八咫烏は、熊野那智大社の八咫烏をヒントにデザインされたとされる。2002年(平成14年)に和歌山文化協会第53回先覚文化功労者として顕彰されたことを機に、石碑も建立された。那智観光の拠点で、熊野那智大社や那智滝、那智山方面への道が駅前から那智川沿いに延びている。また、夏は駅裏手の丹敷浦への海水浴客でにぎわう。当駅は、近畿の駅百選の第二回認定駅である。

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