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words=’山手線外回りと京浜東北線南行ホームの端っこにございます小便小僧でございます。大阪の十三の見返りトミー君も有名ですが、こちらの方が先輩でございます。季節ごとに衣装が変わる、今風に言うとコスプレイヤーですなw 吾輩がこの世に生誕する少し前からこの場所に居るのでございます。鉄道開通80周年記念で設置されたという歴史がある像でございます。以来、ずっとコスプレイヤーをしているんですな、凄いですなw’
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DoraNeko

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに像がある。名称は「小便小僧」で、季節によって衣装を変えることで知られ、通勤・通学客の目を楽しませている。1952年(昭和27年)10月14日の鉄道開通80周年に際して、当時の浜松町駅長の椎野栄三郎が、何か記念になるものはないかと新橋駅の嘱託歯科医だった友人の小林光に相談し、小林の長男誕生記念に作られて診療所の庭に置かれていた白い陶器製の小便小僧が寄贈されたのが最初である。このホームは当時未供用で、1956年(昭和31年)の山手線と京浜東北線の分離運転開始でようやく利用が開始されている。1955年(昭和30年)5月にプラットホームの改修工事が行われ、小林から新たにブロンズ製の小便小僧が寄贈された。当初は衣装はなく、裸の状態であった。ある寒い日に女の子が毛糸の帽子を被せたのが衣装を着せる最初であったとされている。その後、浜松町の会社に勤務していた田中栄子という女性が衣装を作成して着せるようになった。1955年のブロンズ製の像の除幕式でも、田中の作った衣装でキューピッド姿で現れている。その後30年あまりに渡って田中が200着以上の衣装を作り続けてきたが、田中の死去により再び裸に戻った。1986年(昭和61年)には、東京消防庁芝消防署から防災PR用に小便小僧に着せる消防服を作って欲しいと港区の手芸グループ「あじさい」に依頼があった。それをきっかけとして同年11月から再び着せ替えが始まり、それ以降は「あじさい」により衣装が毎月変更されている。像は動かせないので、人間のように衣服を着用することはできず、仮縫いまで済ませた服を持ち込んで現地で縫い合わせることで着用させている。当初の白い陶器の小便小僧が作られたきっかけであった小林光の長男・小林光道は、現在も駅近くの世界貿易センタービル14階で歯科医院を開いている。

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