





























東北本線の浦和駅でございます。正式路線名では東北本線のみですが、運行系統で、京浜東北線・湘南新宿ライン系統の宇都宮線と高崎線・上野東京ライン系統の宇都宮線と高崎線、それぞれ島式1面2線ずつの計島式3面6線の高架駅となっております。ワタクシは合併し政令指定都市さいたま市になった年まで浦和市に長い間住んでおりまして、その後に江戸川区に転居しております。浦和駅は数々の思い出と思い入れがある駅なんですが、離れた途端に再開発の結果、街ともども駅周辺の様相が激変しております。まるで当時とは別の駅みたいと言って過言ではない位の変わりようでございます。
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Wikipediaから引用
浦和駅(うらわえき)は、埼玉県さいたま市浦和区高砂一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。埼玉県庁舎およびさいたま市役所の最寄り駅であり、合併以前に県庁所在地であった旧浦和市(浦和地区)の中心駅として、JTBパブリッシングや交通新聞社[注 1]の時刻表における名目上の県・市の代表駅である。一方で駅規模や利用者数の観点では多数の新幹線や在来線が乗り入れる大宮駅が実質的な県内最大のターミナル駅である。旧大宮市に位置する大宮駅周辺が鉄道・商業の街なのに対して、当駅周辺は埼玉県庁やさいたま市役所、さいたま地方裁判所、埼玉県警察本部などの公的機関が集積しており、県政・市政の中心地となっている 。1883年に上野駅と熊谷駅を結ぶ県内初の鉄道である日本鉄道(現在の高崎線)の開通と同時に開業し、さいたま市内で最も古い駅であると同時に、県内でも上尾駅、鴻巣駅、熊谷駅と並んで最も古い駅の一つである。そのため駅の開業は県内の代表駅である大宮駅よりも古い。当駅周辺でも、特に駅西側は埼玉県やさいたま市の行政機関、主要政党の埼玉県支部、裁判所などが集まる埼玉県政、さいたま市政の中枢である。また、そのような中で駅から徒歩圏内に「狛ウサギ」で有名な調神社や、枝垂桜で有名な玉蔵院などの古社寺が点在する。また、旧中山道沿いに駅から少し離れると老舗の菓子屋などの店舗も残り、近世以来の宿場町の名残りを今に伝えている。西口側では1963年8月に浦和都市計画街路が決定した後、1967年に駅前の再開発事業に着手した。1981年3月に繁華街の再開発が完成して、伊勢丹浦和店、浦和コルソといった大型商業施設が同年に開店したほか、浦和駅西口バスターミナル、旧浦和駅前停車場線を整備したさくら草通り、旧中山道、玉蔵院通り周辺などが整備されている。なお、この頃の再開発は、例えばさくら草通りは自動車も通行する道路から歩行者専用道路になるなど、道路を歩くことの楽しさにも配慮していた。その後1990年代末期には旧中山道と市役所通の交差点に当たる旧浦和宿本陣近く、浦和市役所旧庁舎跡地に浦和駅周辺では初の超高層ビルとなる浦和センチュリーシティ(浦和ロイヤルパインズホテルなどが入居)が完成した。そして、2000年代に入ってからは東口でも再開発工事が進められ、浦和パルコ、ヤオコー、ユナイテッド・シネマ(シネマコンプレックス)などの商業施設と、さいたま市立中央図書館、COMUNALE、地下公共駐車場などの公共施設が入居する複合型再開発ビル「ストリームビル」が開業し、駅前交通広場も整備された。西口南地区では、既に駅南側を横断する田島大牧線より南側の開発が終了している。また、同道路よりも北側の駅前一等地についても2026年(令和8年)完成予定として駅前広場の拡張や西口のシンボルとなるような公共施設を中心に、オフィス・商業施設も取り入れた27階建ての超高層マンションが計画されている。