守口市駅は、大阪府守口市河原町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。

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words=’京阪本線の守口市駅でございます。久々でございます。前回は2014年8月に訪問いたしましたのでございましたですな。複々線区間にある緩急接続可能駅でございます。拙者が京都から門真まで通勤していた頃は複々線はここまでで、ここから萱島駅まではまだ複線の地上区間でございましたですね。そして守口市駅もまだ地上駅でございました。懐かしゅうございます、はい。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    守口市駅(もりぐちしえき)は、大阪府守口市河原町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。京阪開業と同時に駅が開業、電車に送電する変電所も併設された。大正時代・駅の京都側に網島より車庫と車両工場が移設され、昭和初期には「野江の七曲り」と言われた守口-野江間の直線への付け替えと立体交差化、さらに複々線化が実施された。この間、1931年には大阪市電都島守口線が守口市に乗り入れている(1969年廃止)。戦後は守口(1971年に守口市に改称)- 寝屋川信号所間の高架複々線化が1970 – 1980年代に実施され、それに伴い車庫と車両工場は寝屋川市の寝屋川車庫に移転統合された。それらの施設の跡地に京阪百貨店や駅前広場「カナディアンスクエア」が整備された。この時期には平行路線として大阪市営地下鉄谷町線(現・Osaka Metro谷町線)が延長されている。現在では守口市駅は高架化されているが、1933年12月に蒲生信号所から守口駅までが複々線立体交差化された時点では地上駅で大阪側には踏切も存在した、また完成時期が世界恐慌の真っ最中で新京阪線(現阪急京都線)の待避線・ポイントを撤去して転用したといわれている。1970年3月に守口(現・守口市)駅 – 新門真(現・門真市)駅間の複々線高架化の認可申請をした段階では守口駅の京都側から高架化される計画で1972年(昭和47年)の高架化工事着工時にも守口市駅の高架化の認可はなされていなかった。しかし守口市が守口市駅の高架化を前提に再開発計画を立てていたため、翌1973年4月11日付けで萱島駅の設計変更と共に高架化が認可された。また高架工事に伴い移設された仮駅舎は1975年の夏にはほぼ完成していたが、仮駅前のバスターミナルへの進入路の借地交渉が纏まらず約1年間使用できなかった。このため高架化工事が約2年間遅延し、守口市駅下り線(大阪行き)の高架化工事の完成をもって土居駅-寝屋川信号所間の複々線高架化は竣工した。また守口市駅の京都側には車庫への出入庫線のほかに京阪本線の中央部に引き上げ線が設置され淀屋橋駅 – 守口市駅間の普通が折り返しに使用していたが1980年の3月のダイヤ改正で運転区間が萱島駅まで延長されたため引き上げ線は廃止撤去され、同年6月8日に下り線も高架化され、ようやく淀屋橋駅 – 寝屋川信号所間約14kmが連続立体交差化された。その後も付帯工事が続けられ1982年3月に竣工した。2015年8月、駅構内の耐震補強工事が行われ、2016年3月末に終了した。当駅は3層構造の高架駅であり、改札・コンコースは2階、ホームは3階に位置する。所属の京阪本線は東西に走っている。改札口は東西1ヶ所ずつ設けられ、東改札には京阪百貨店が隣接し、エレベーターが設置されている。当駅は京阪本線の複々線区間に位置しており、島式2面4線のホームによって、快速急行・準急等の速達列車と普通列車との緩急接続を可能としている。

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