枚方市駅は、大阪府枚方市岡東町にある、京阪電気鉄道の駅。

京阪電車で枚方市駅前へ
構内にやたらハトがいるんだよね、ここ。 職員の制止も聞かずに鳩にエサをやり続ける非常識な御仁が存在したためにこんなになっちゃったっつうハナシらしい、いかにも、だなあ。

DoraNeko

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    枚方市駅(ひらかたしえき)は、大阪府枚方市岡東町にある、京阪電気鉄道の駅。快速特急「洛楽」を除いた全種別が停車する。1910年(明治43年)の開業当時は、枚方宿の大阪側にある現・枚方公園駅が枚方駅を名乗り、当駅は枚方東口駅であった。その後、当駅が枚方市の中心駅となったことから、1949年(昭和24年)に改称された。この際、旧枚方駅との混同を避ける目的もあって枚方市駅となる。京阪電気鉄道が現在営業している「〜市駅」のなかで最も歴史が古い。なお、京阪における「〜市駅」の第一号は、会社分離前の新京阪線(現在の阪急京都本線)高槻市駅である。1939年(昭和14年)3月1日午後2時45分、大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫第15番倉庫にて弾体から信管を取り外す作業中に爆発が発生。折からの強風に煽られ3時29分、砲弾・炸薬に引火誘爆した。半径2 km に弾丸や破片が飛び散る大爆発で消火活動も行えない状態が3日間も続き、降り注いだ砲弾の破片などで送電線・電車線・電気供給施設が損壊。同月4日午後8時に運転再開するも、駅の再開は6日までずれ込んだ。太平洋戦争後には乗降客数の増加がみられ、1955年(昭和30年)に18383人/日であったのが、1959年(昭和34年)には29344人/日へと約60%増加した。その後1960 – 1970年代は香里団地を始めとする宅地開発により、乗降客数は急増していった。また自動車の普及や列車本数の増加により、駅周辺の開かずの踏切問題が表面化したため、駅の高架化(連続立体交差事業)が計画された。駅の高架化事業は1978年(昭和53年)12月に着工、1988年(昭和63年)5月に上り線(京都行き)高架化。続いて1990年(平成2年)3月に下り線(大阪行き)が、1991年(平成3年)6月に交野線が単線高架化、1992年(平成4年)11月に複線高架化。以後も付帯工事を続け、1993年(平成5年)3月25日に高架化工事は竣工した。1980年(昭和55年)2月20日夜、当駅と御殿山駅の間の通称「磯島曲線」で発生した京阪電車置石脱線事故では、復旧に翌21日の午後までかかり、復旧まで淀屋橋駅 - 当駅間で折り返し運転を行い、特急は21日始発より運休した。運休中は樟葉駅と当駅の間で、バスによる振替輸送が行われた。1997年(平成9年)には朝ラッシュ時の下り特急が、また2003年(平成15年)には全ての特急列車が当駅に停車するようになり、利便性が向上した。

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