二子玉川駅は、東京都世田谷区玉川二丁目にある、東急電鉄の駅。









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words=’東急の田園都市線と大井町線の二子玉川駅でございます。ニコタマでございます。かつて仕事のホームグラウンドでもあったこの街ですが、当時と比べて劇的な変化を遂げておりますな。昭和を感じさせるような街並みが随所に残っていた面影何ぞ見事に無くなっておりますですな。時代の流れを強烈に実感致しますです。新玉川線が開通する前に東京に移り住んだ拙者でございます。プライベートでもしばしば訪れていた、二子玉川園、その後のナムコ・ワンダーエッグなんぞの時代の話でございますよ。今回、歩き回って足が棒になってしまったので砧線の廃線遺構とかも行こうと思っていたのですが、流石に疲れ果てたので行けませんでしたのです。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    二子玉川駅(ふたこたまがわえき)は、東京都世田谷区玉川二丁目にある、東急電鉄の駅である。なお二子は神奈川県川崎市高津区側の地名である。田園都市線と大井町線が乗り入れている。線路名称上では、当駅が正式な大井町線の終点であるが、田園都市線の複々線化に際して大井町線の列車は溝の口駅に発着するようになり、当駅 – 溝の口駅間でも両系統を案内上別路線として扱っている。田園都市線は日中、当駅で遮光幕の開閉が行われる。駅長所在駅であり、二子玉川管内として当駅と用賀駅を管理している。かつての二子玉川管内は当駅 – 梶が谷駅間であり、用賀駅は三軒茶屋管内であったが、管内再編により2009年10月1日に現在の体制となった。なお、二子新地駅 – 梶が谷駅間は同日から分離・新設された溝の口駅所管の「溝の口管内」となった。島式ホーム2面4線を有する高架駅である。ホームは外側の1・4番線を田園都市線、内側の2・3番線を大井町線が使用する。敷地の都合上、ホームの中央部から下り中央林間方にかけての大半が多摩川および駅付近で合流する野川を渡る橋(東急田園都市線多摩川橋梁)上に位置する。その特異な構造のため、ホームの上り渋谷・大井町方の幅は20m程度あるのに対し、ホームの中央部から下り方にかけてのホームの幅は5m程度しかない。かつては上り列車のホームは朝ラッシュ時に、各駅停車と急行の乗り換え、さらには大井町線始発列車待ちの行列もできて、混雑を極めた。その後、2007年4月5日より田園都市線準急の運行開始により各駅停車と急行の乗換えが無くなり、さらに2009年7月11日には、大井町線の溝の口駅への延伸(田園都市線複々線化)工事の完成により、大井町線始発列車への乗り換え駅が溝の口駅に移動し、ホーム混雑はかなり緩和している。階段は、ホームの最も上り方とホームの中央部にそれぞれ1か所存在する。ホームの最も上り方の階段を下ると、コンコース・改札口に通じている。上下両ホームの中央部に位置する階段は1・2番線と3・4番線を結ぶ連絡通路である。この通路は改札口と連絡していない。このような出口構造および、田園都市線の渋谷方の車両の対面に短い大井町線の編成が停車するため、朝ラッシュ時の上り列車では渋谷寄りの車両、特に1 – 3号車は当駅より手前では混雑率が高く、また当駅を過ぎるとやや低下する。また、2014年4月にホーム、コンコース、旅客トイレ等の照明器具が、東急線で4番目の全駅LED照明となった。駅前地区には商業施設が集まり、周辺には瀬田や岡本などの閑静な住宅街が広がる。髙島屋など複数のショッピングセンターがあり、また多摩川の河川敷と合わせ行楽地としての一面も有する。休日に訪れる人は多く、駅周辺はマイカーや路線バスが混雑する。スーモ「関東版住みたい街ランキング」では2016年に10位にランクインしていたが、2018年は19位となっている。駅西口側は、1969年に玉川髙島屋をキーテナントとするショッピングセンター(玉川髙島屋S・C)が開業。玉川髙島屋は日本初の郊外型ショッピングセンターとして知られる。玉川通り沿いや高島屋周辺に、服飾、雑貨、飲食などの店舗が集積している。また、玉川高島屋西側の新二子橋橋梁脇との間の小規模店舗・住宅群は、京都の小路をモチーフとして「柳小路」という飲食街が再開発された。駅東側側は、戦前に玉川電気鉄道(玉電)や東京横浜電鉄(のち両者が合併し東京急行電鉄(現在の東急電鉄)となる)により、玉川第二遊園地や玉川プールなどが開設され、行楽地として開発された。玉川第二遊園地は、のち駅名の由来となった遊園地の二子玉川園となり、同地には映画館「二子東急」も設けられ、行楽地として栄えた。1985年の二子玉川園閉園後、跡地は二子玉川タイムスパークとして暫定活用され、スポーツ施設の「二子玉川園東急スポーツガーデン」、ナムコ・ワンダーエッグ、いぬたま・ねこたまなどのテーマパークが建設された。

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