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words=’阪急神戸線と宝塚線の中津駅でございます。ホームが狭いことで有名でございます。大阪梅田~十三間の三複線区間にある唯一の中間駅でございますが、京都線にはホームがございません。理由は京都線の線路は後から建設されたもので、ホームを作れるスペースがなかったことによります。ついでに昔話を致します。幼い頃、大阪西田辺で単身暮らす父親の世話のために毎週京都から通う母親に連れられて阪急で向かう途中の淀川を渡る阪急からの車窓の景色を見るのが楽しかったことを今でも覚えております。十三を発車し、淀川を渡り終えると貨物線の上を通り、更に阪神北大阪線が敷設された道を越え、大阪駅の下にある、現在の阪急三番街の位置にあった旧梅田駅に到着、といった一連の光景が瞼に残るのでございます。当時の京都線の運行系統は今とは違って普通電車は梅田から千里山、京都方面からの普通は天神橋発着でした。梅田に発着するのは急行と特急でした。まだ京都側の終点は大宮で、特急は梅田を出ると十三以外に停車せず次は終点大宮、京阪間ノンストップの時代でした。梅田駅は現在の位置に移設され、阪神北大阪線は廃止となり、国鉄東海道貨物支線の梅田貨物線には特急列車が走り、もうすぐ大阪地下新駅が出来て、なにわ筋線に繋がる予定、いやはや随分と激しく変遷するのでございます。感慨深いですな~。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    中津駅(なかつえき)は、大阪府大阪市北区中津三丁目にある、阪急電鉄の駅である。Osaka Metro御堂筋線にも同名の中津駅があるが、約300m離れているため、乗り換えには適さない。同線に乗り換える場合は、大阪梅田駅か南方駅(御堂筋線は西中島南方駅)を利用することになる。また、当駅のある区間は阪急電鉄の主要な3路線(神戸本線・宝塚本線・京都本線)が並走しているが、京都本線が走る線路については後から建設されたもので、用地都合によりホームが設けられておらず、全列車が通過する(時刻表や路線図にも、当駅の記述はない)。かつては駅南側の国道176号上に阪神北大阪線の中津駅があったが、路線の廃止により現存しない。島式ホーム2面4線を有する高架駅である。西側の1・2号線を神戸本線が、東側の3・4号を宝塚本線が使用する。ホームドアはない。改札口はホームの真下にあり、大阪梅田寄りの1か所のみである。阪急の各駅の中でも、ホームの幅が狭く、通過する列車との間が極めて近い為注意が必要である。各駅に貼られている整列乗車のための「乗車位置表示」のステッカーや掲示はない。神戸本線は普通のみ、宝塚本線は普通と準急(平日朝ラッシュ大阪梅田行のみ運行)が停車する。京都本線の列車が使用する線路にはホームがないため、普通も含めて全列車が通過する。十三駅9号線(引き上げ線)が一時期使用停止されたことに伴い、当駅の大阪梅田側に神戸本線 – 宝塚本線間の渡り線が設置されていたが、9号線の使用再開により2010年(平成22年)10月限りで撤去された。この渡り線は大阪梅田駅の場内信号機の内方に位置しているため、大阪梅田駅構内の扱いとなっていた。当駅は分岐器や絶対信号機を持たない停留所である。駅のすぐ南側で阪急線の下を西日本旅客鉄道(JR西日本)梅田貨物線がくぐっており、2023年(令和5年)には地下化され、2031年(令和13年)なにわ筋線とつながる予定だが、初期の計画には当駅付近になにわ筋線の中津駅(仮称)が新設されることが盛り込まれていた。2017年(平成29年)に発表された計画では、建設費節減のため他のいくつかの駅とともに設置が見送られた。毎年8月に開催される『なにわ淀川花火大会』の会場の最寄駅の一つである(十三駅からも徒歩連絡可能)。開催日は観覧客の乗降が多く、ホーム幅員が非常に狭いこともあって、特急などの優等列車も当駅に臨時停車する。大正期以来のホーム上屋の鋳鉄製の柱は唐草模様のような装飾をあしらったデザインになっており、1987年春の改修で撤去されるまで宝塚線・神戸線ホーム梅田寄りに残存していた。かつて1号線(神戸本線下り)と道路の間のフェンスには、東洋ナッツ食品の広告看板が多数設置されていた。80メートルほどの間に全く同じ看板が20枚以上も並んでいるという高密度だったため、乗客の目を引いた。1980年代にはそのうちの半分ほどが毎日放送のものに置き換わった。2000年代に入ってすべて撤去された。

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