いつも京阪のプレミアムカーに乗りたくなるのです@祇園四条駅。








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words=’祇園四条駅のプレミアムカー乗車口に佇んでおりますと、衝動的にプレミアムカーに乗車したくなる習性が出来上がってしまったようでございます。今回はそれを堪えて各駅停車に乗るんですけどね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    祇園四条駅(ぎおんしじょうえき)は、京都府京都市東山区四条大橋東詰にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。地元の人は、当駅を含めた周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多い。1915年・京阪線の三条駅への延伸に伴い開業、京都市電四条線が先に開通していたために平面交差が設けられた。当初は上下線とも四条通の北側に相対式のホームを設けていた。後に上りホームを四条通南側に移設し、三条行・天満橋(淀屋橋)行共に四条通を渡る手前で停車する千鳥配置に変更された。駅舎は一貫して下りホーム側に設けられており、上りホームの利用者は一旦下りホーム側の駅舎で乗車券を購入した後、上りホームの改札を通る形になっていた。さらにその後、地下化工事の進捗に伴い、今度は下りホームを駅舎共々四条通南側に移設して再び相対式ホームとなり、その状態で地下化工事の完成を迎えた。1935年の「鴨川水害」では鉄筋コンクリート製アーチ橋の四条大橋に、上流より流された木製の三条大橋などの残骸が引っかかり鴨川を堰き止め、あふれた水が四条駅や周辺に大きな被害を与えた。この後に鴨川の洪水対策として川底を掘り下げ、四条大橋は1942年(昭和17年)に橋脚タイプの現在の橋に架け替えられた。併せて「京阪線を地下化して鴨川を拡幅する」との計画が作成されたが、折からの日中戦争からの戦時体制で計画は縮小され、鴨川の川底の掘り下げと堰の設置が1947年まで続けられた。鴨川べりの京阪線の地下化は頓挫したかに思われたが、1960年代末からのモータリゼーションに伴い京阪線の踏切が東西交通の妨げになることや、東大路通・河原町通の混雑緩和となる川端通の建設計画と鴨東線の地下鉄道による新設計画が持ちあがり、京阪線の地下化が1975年10月に都市計画決定された。この計画は1977年6月に事業認可されて1979年3月に着工し、1987年5月に地下化が完了した。同年7月には付帯工事区間で集中豪雨により四条駅北側の白川から地下線に大量の水が流れ込み1日運休する被害が発生している。翌年5月にすべての付帯工事も完成し、地上線路跡に川端通が開通した。地下化後25年以上たったことから、2015年より大規模な改修工事が開始され、北改札口を閉鎖。そこに有ったエレベーターを廃止して南改札口内にエレベーターを新設、トイレも大規模な改修がなされた。コンコース内にはスターバックスコーヒー・志津屋を誘致、観光案内所を新設・外貨両替機も設置するなど、京都の玄関口となるようにリニューアルされた。

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