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DoraNeko

南海線、高野線、汐見橋線が接続している駅なれど優等列車は通過するっつう特異な駅、岸里玉出駅でございます。元々生い立ちが違う高野線を汐見橋ではなく難波に向けたのでこういう特異な構造の駅になったっつう次第ですが、現在の形になったのって平成になってからなんですな~。元々が違う駅だったこともあり、南海線+汐見橋線の位置から高野線のホームまでは長い連絡通路となっております。ここから乗って難波に向かうのに、どっちが早いか?なんて賭けしたりできますなw 鉄ちゃん、すなわち鉄道趣味の方々には見どころ満載の駅でございます。阪堺電車や地下鉄も含めて各種鉄道が入り乱れるように密集する地帯でもありますしね。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    岸里玉出駅(きしのさとたまでえき)は、大阪府大阪市西成区玉出東一丁目にある、南海電気鉄道の駅。元々は岸ノ里駅と玉出駅という2つの駅で、南海本線と高野線の連絡駅は岸ノ里駅だった。高架化以前は現在の汐見橋線との分岐付近(岸里口付近)に本線岸ノ里駅が、現在の玉出口付近に玉出駅が存在したが、両駅の駅間距離が僅か0.4kmしかなかったこともあり、1993年4月に南海本線が高架化された際に両駅が統合され岸里玉出駅となった。また、玉出駅と関連性のない高野線・汐見橋線側の駅も、混乱防止のためそのまま岸里玉出駅に名称変更した。しかし高野線・汐見橋線側の駅は名称変更時点であってもまだホームのリニューアルが行われていなかったため、現在から見ると1 – 2世代前のスタイルの駅名標を名称変更後も引き続き使用していた。1885年に南海本線(当時は阪堺鉄道)が開業した際には後に高野線との交点となる地点に駅はなかったが、1913年に岸ノ里駅が開業した。玉出駅は1907年の開業である。高野線の岸ノ里駅は、高野鉄道開業時に開設された勝間駅を前身とし阿部野駅(駅近くにある阿部野神社に由来)への改称を経て、南海本線と高野線との連絡線が開設された際に南海本線の岸ノ里駅に統合された。なお、併走するOsaka Metro四つ橋線に玉出駅がある(玉出駅 – 岸里玉出駅玉出口間が約650m)。四つ橋線には岸里駅もあるが、当駅より天下茶屋駅が近い(岸里駅 – 天下茶屋駅出入口間が500m弱、岸里駅-岸里玉出駅岸里口間が約600m強)。1985年(昭和60年)6月16日 – 高架化工事のため汐見橋線が高野線から分断される。汐見橋線用ホーム(旧阿部野駅)は撤去され、南海本線との交差部の西側手前に仮ホーム設置。1993年(平成5年)4月18日 – 南海本線高架化。岸ノ里駅と玉出駅を統合し、岸里玉出駅開業。1994年(平成6年)10月28日 – 高野線上り線が高架化。1995年(平成7年)8月10日 – 汐見橋線用高架ホーム使用開始。同月23日深夜に汐見橋線の線路は南海本線とつながった。11月1日 – 高架化完成。1996年(平成8年)12月10日 – 高野線ホームをリニューアル。これをもって一連の工事は終了。合計4面5線のホームを持つ高架駅である。ホーム配置は東から高野線、南海本線、汐見橋線の順。高野線のホーム(1・2番線)は相対式の2面2線。南海本線のホーム(3・4番線)は島式1面2線となっており、上り線のみ外側にホームのない通過線が1本存在する。この通過線を5番線として扱っているため、5番ホームは欠番である。南海本線ホームでは、乗車位置案内板が足元だけでなくホーム前の高架壁にも設置されている(高架化完成時から設置されており、4両分しかない)。汐見橋線のホーム(6番線)は単式1面1線で、南側が行き止まりになっている。また、北側には南海本線への渡り線がある。なお、汐見橋線は当駅構内のみ単線になっている。駅の難波寄りで南海本線と高野線が大きく分岐している関係上、高野線ホームと南海本線・汐見橋線ホームは連絡通路で繋がっている。しかし距離があることに加え、南海本線・高野線の優等列車は当駅を通過するため南海本線と高野線の相互の乗り換えは、一つ隣の天下茶屋駅での乗り継ぎを奨励している。また、当駅から難波へ行く際も、4番線(南海本線ホーム)からの乗車を推奨しているようである(そのため、南海本線の難波方面ホームが「なんば方面」となっているのに対し、高野線の難波方面ホームは高野線列車(各駅停車)しか止まらない「萩ノ茶屋・今宮戎」と書かれている)。ただし、2005年のダイヤ改正以降、昼間時の停車列車は南海本線より高野線の方が多いため、時間帯によっては4番線で待つよりは2番線に廻ったほうが早く難波へ着く場合もある。高野線は、南海本線の高架化前は地平の南海本線を跨ぎ越して汐見橋方面へ直進していた。地平時代(1984年までの)の汐見橋線のホームは南海本線をまたぐ鉄橋のすぐ東側にあり、その東に高野線と南海本線を結ぶ連絡線分岐、そのさらに東の阪堺電軌をまたぐ位置に高野線旧ホームがあり、汐見橋線ホームと高野線旧ホームは連絡通路で結ばれていた(現在の高野線ホームが帝塚山方に伸びているのは旧ホームの名残である。現高野線ホームの下には旧ホーム時代に使われていた階段が残っている。)。なお、この高野線旧ホームは1970年11月に設置されたもので、それまでは難波発着の高野線電車は各駅停車も通過扱いであったため、汐見橋線の電車が住吉東まで運転されていた。ホームは3階、コンコースおよび連絡通路は2階にある。改札口は難波寄りの岸里口、和歌山市寄りの玉出口の2ヶ所。高野線ホームの高野山寄りには改札口はない。かつて汐見橋線のホームが独立していた時は高野山方にもあったが、汐見橋線が南海線の横に停車するようになってから閉鎖された。また、玉出口から高野線および汐見橋線に乗る場合は、南海線ホームを経由して岸里口側に廻る必要がある。なお、改札口は1998年10月に自動改札化されたがピクトグラムは未だに係員改札の表示となっている。なお、岸里口・玉出口両改札側とも、構内に自動販売機があるのみで売店がない。高架完成後、しばらくは両改札側に売店が存在していたが、ともに閉店した。玉出口改札は朝夕ラッシュ時を除き、無人化されている。

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